横松宗先生『大正から昭和へ  恐慌と戦争の中を生きて』 978-4309221663

私の恩師の一人である横松宗先生の『大正から昭和へ 恐慌と戦争の中を生きて』(河出書房新社)は、座右の書の一つだ。横松先生は中津出身で、広島高等師範をでて、八幡大学学長をつとめた中国研究者で、ながく故郷の中津で文化分野の指導者であった。

この本の中で、福沢諭吉についての記述がある。現在の私の心境と同じである。改めて、福沢諭吉の著作を読むことにしたい。

西川先生(広島高等師範学校教授)はまず、次々に私たちの名前と出身地を聞いた。「ぼく愛知県です」「それでは豊臣秀吉たな…」「ぼくは福井県です」「そうか、ああ、、、橋本左内か」「高知県高知市です」「だったら、坂本竜馬か、ほかにもいろいろえらい人がでてるなぁ…」

最後に私の番が廻ってきた。「僕は大分県です。、、、そう中津市です」「ほう君は、、、中津かね。それなら福沢諭吉だ。、、、福沢諭吉は、今までの諸君の出身地の偉人を全部併せたよりもスケールの大きな人だ。立派な先輩持ってるよ、君は、、、」

私はびっくりした。郷里の生んだだ最大の偉人というので、私は小学生のころから福沢諭吉のことをくりかえし聞かされされていた。『福沢諭吉読本』という略伝のようなものを読まされた。しかしそれらは福沢諭吉をもって、学問に励み、いちはやく、西洋文明を紹介し、日本に近代文明を普及するとに多大な貢献をしたという程度のものであった。福沢先生の旧宅にしばしば足を運んだ私たちにとっては、先生が米をたきながら本を読んだという土蔵と、その二階の先生の人形のような像が頭に浮かぶという程度であった。そういった私にとって、西川先生のこの言葉は、青天の霹靂ともいうべきものであった。

私は早速岩波文庫にある。『文明論之概略』『学問のすすめ』および『福翁自伝』などを買い、下宿の部屋に寝ころんではむさぼるように読みふけった。『文明論之概略』には非常に感銘を覚えたのである。そして、中津で福沢先生について知ったふうなことを論じている郷土史家や名士たちは、実は先生の著書はあまり読んでいないのではないか、あるいは少しは読んでいても、自分たちに都合のよいところだけを語っているのはないかと、私は当時思ったのである。

当時の修身教育や歴史教育の教えとは、全く反対の、たとえば、楠木正成権助論、足利尊氏尊重論、忠孝区別論、さらに、教育勅語御真影の奉載を無視した慶應義塾の道徳教育(「修身要領」など)、また、儒教神道に対する痛烈な批判に驚異の目をみはったものである。

そのさらに、その後、『旧藩情』『民情一新』『女大学論』などスを読みすすむにつれ、その底に流れる封建門閥制度への諭吉の怨念に心打たれるようになった。また、諭吉の多くの書物が、当時ベストセラーとして普及したにもかかわらず、明治の初めにすでに教科書として禁止された事実があったことを知らされた。


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