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「名言との対話」 6月26日。高島忠夫「不器用でいいのだ。いい仕事を選ぶのが一番だ。これだと決めた道を踏みはずさないことだ」

高島 忠夫(たかしま ただお、1930年〈昭和5年〉7月27日 - 2019年〈令和元年〉6月26日)は、日本の俳優・タレント・司会者。

高島忠夫は明るく楽しいキャラクターをセールスポイントにし、妻の寿美とはおしどり夫婦のイメージ通りに夫婦げんかをしたことがなかった。妻・寿美花代は 女優、二人の息子・高嶋政宏と高嶋政伸は俳優として活躍中だ。「おしどり夫婦」「高島ファミリー」と呼ばれた。

どこからみても申し分のない家族であり、高島忠夫本人の順風満帆と誰にもみえていた。しかし「どんなときでもジョークと音楽を」をモットーとしていた明るい姿からは想像できないが、晩年はうつ病で苦しんでいたのだ。『うつへの復讐 絶望から六年目の復活』(光文社)を読んで、その闘病生活を知った。

68歳でうつ病を発症。引きこもり、あらゆることに関心がなくなる。少し良くなったあ感じがして無理をして沈む。「これが高島忠夫か。おれは一介の老人になってしまったな」。「治らなくてもいい。そのときは、死ぬまでうつと共生していこう」と、人生観の針がマイナスに振れる。目標は「ただの老人」に設定する。「他人ではない自分を生きるために、生きる」。闘病生活も中退で終わってしまわないで、「きちんと卒業して仕事に復帰しよう」。リハビリ生活の柱は、ライブと運動。58歳から年の闘病生活を経て、73歳で復帰する。2003年ごろから徐々に芸能活動を再開、2007年春から完全復帰。以降は家族とともにうつ病への理解を深める活動を行っていた。 うつ病克服から15年後に88歳で老衰で亡くなった。

「うつ病」経験者では、アナウンサーの小川宏、俳優の根津甚八、漫画家のみつはしちかこ、気象予報士の倉嶋厚などの名前が浮かぶ。梅棹忠夫先生からも「老人性うつ病です」と笑いながらいわれたことも思い出す。

73歳で本を出した時点で119本の映画出演している。だが、映画俳優一本で走り切れなかった、中退人生の連続だったとの思いがあった。達成感がなかったという虚しさを抱えていた。それもうつ病の原因の一つだったのである。器用すぎて様々の領域に進出した高島忠夫は、不器用でいい、いい仕事を選び、その道を迷いなく進め、という。それは二人の俳優の息子へのメッセ―ジである。不完全燃焼の人生ではなく、完全燃焼をせよと受け取ろう。

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