「名言との対話」8月10日。藤原あき「清い政治、明るい社会、美しい国土」
藤原 あき(ふじわら あき、1897年8月10日 - 1967年8月8日)は、日本のタレント、政治家。享年69。
三井財閥の総帥・中上川彦次郎の三女(庶子)で、叔父は福沢諭吉である。女子学院に学ぶ。17歳、一度の見合いもなく、19歳年上の開業医と結婚させられる。10年後、あきは藤原義江と出会う。「世紀の恋」の結果、1928年に離婚し藤原の住むミラノに移住し、2年後に正式に結婚。
戦後、夫婦関係が破綻。1954年に資生堂美容部長。1955年からNHKの人気クイズ番組「私の秘密」のレギュラーとなり、日本中に知られる。1957年、離婚。資生堂美容学校校長。
従兄の政治家・藤山愛一郎から参院選の出馬を依頼される。「愛さんを総理にするために私の残りの人生を賭けるわ」といい、決心する。藤原あきの書いている「清く正しく美しく」を、「清い政治、明るい社会、美しい国土」というスローガンにして、選挙戦を戦い、トップ当選する。タレント議員のはしりとなった。
評伝『藤原あき』(佐野美和)によれば、夫であった藤原義江はなんでも自分より秀でていると認めていた。才色兼備の女性だったのだ。
藤原あきは、NHK「私の秘密」でいつも見ていた。この番組は1967年まで10年以上続いていたから、私の中学高校時代である。司会の高橋圭三アナウンサーの冒頭の「事実は小説より奇なりと申しまして、、、」は流行語になっており、私もよく使ったものだ。
一般の登場者の特技、趣味、体験などを、レギュラーが質問しながら、当てていくという趣向で、視聴率が3年間にわたって40%を超えるという人気番組だった。朝日新聞記者だった物知り博士の渡辺紳一郎、詩人の藤浦洸、それに藤原あきという同世代がレギュラー解答者で、藤原あきは華やかな存在でよく覚えている。
本日8月10日は岸田内閣の新閣僚が決まった日である。宗教と政治の関係が問題になっている現状をみると、「清い政治」という言葉は、「清き一票」と同様に死語になってしまった感がある。今一度、思い起こしたい言葉である。
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