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「名言との対話」 10月2日。土居君雄「もったいない」

土居 君雄(どい きみお、1926年3月23日 - 1990年10月2日)は、日本の実業家。ドイ(カメラのドイ)創業者。

問屋から製品を仕入れ小売店に納入する二次卸から始まり、写真、電化製品を扱う小売業に進出する。ヨドバシカメラら競合店と「新宿カメラ戦争」と呼ばれた安売り合戦を展開し話題となる。最盛時は、九州、関東、関西地方などに約130店舗を展開。1989年度の売上は346億円に達し、カメラの専門店チェーンとしてはヨドバシカメラ、ビックカメラに次ぎ日本で第3位となった。 しかし、1990年に病気のため急逝する。土居は日本でのミュシャ((1860年-1939年)の紹介者の一人であり、1989年、チェコ文化功労最高勲章が授与されている。土居の死後、ドイは、2003年8月に民事再生法の適用を申請して倒産し再建を目指したが2006年に破産した。

土居君雄は、稼いだ金は好きな洋画と自動車の蒐集につぎ込んだ。特にミュシャとBMWの世界的コレクターであり、どちらも遺族から大阪時代に居を構えた大阪府堺市に寄贈され、約500点にのぼる「ドイ・コレクション」として堺市立文化館アルフォンス・ミュシャ館でで公開されている。ミュシャはアール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナーで、女優サラ・ベルナールのために制作された7点のポスターなどの貴重な作品が収蔵されている。ミュシャの祖国である現チェコ共和国でも観ることができない大型の油彩画や下絵など、貴重な作品を加えた厚みあるコレクションだ。

私は2017年に国立新美術館で「ミュシャ展」で、サラ・ベルナールのデザイナー作品やスラブ叙事詩という超大型作品をみて強い印象を受けている。2019年には横浜そごう美術館の「ミュシャ展」もみた。

ミュシャはスメタナの交響曲「わが祖国」の演奏を聴いて、スラブ民族の連帯を主題とする連作絵画を制作することを意識する。1909年には「スラブ叙事詩」20点を制作するスポンサーを見つけて、翌年プラハに戻る。このときミュシャは50歳。プラハ市は専用の美術館を建てると約束しこの大事業に着手し、1911年から16年間かかって「スラブ叙事詩」が完成する。

本業の「ドイ」は無くなったが、「もったいない」が口グセであった土居君雄は付き合いなどに金は使わず、創業者として得た富でミュシャの絵画を買い続け、それが「ドイ・コレクション」として残った。安宅コレクションと同じである。土居本人がいうような単なるドケチではなかったのだ。金は使い方が大事なことがよくわかる。

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