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「名言との対話」3月24日。古賀稔彦「練習で限界を超えた自分を知っておかなければ、本番では勝てない」

古賀 稔彦(こが としひこ、1967年昭和42年〉11月21日 - 2021年令和3年〉3月24日)は、日本柔道家講道館九段)、医学者。享年53。

佐賀県出身。柔道に取り組み、日本体育大学にすすむ。背負い投げを得意とする。1988年、20歳のときにソウル五輪で惨敗し、技の幅を広げていく。1989年と1991年の世界選手権71kg級で優勝。

1990年には、169センチ、75kg前後という軽量にもかかわらず体重無差別の全日本選手権で重量級で相手を次々と撃破し、決勝で当時最重量(95kg超級)の世界チャンピオンの小川直也と対戦、足車に仕留められ準優勝となった。

1992年バルセロナ五輪日本選手団団長)の71kg級では、練習中に全治2カ月の左ひざを負傷しながら「そうだ、、生きるか死ぬかの闘いをしよう」と決め出場し金メダルを獲得した。1995年の世界選手権では78kg級で優勝。2004年アトランタ五輪78kg級で銀メダル。

2000年、32歳で引退。全日本女子柔道チーム強化コーチに就任してアテネ五輪金メダリスト谷本歩実をそだてた。

豪快な一本背負投が得意技であることから「平成の三四郎」と呼ばれた姿が思い浮かぶ。鮮やかな背負い投げを持ち味に常に一本を取りに行く柔道だった。小柄な体からの切れ味鋭い技の数々には皆が魅了された。

姿三四郎とは誰か。富田常雄長編小説姿三四郎』に由来している三四郎は小柄だが動きがすばやかった。得意技の豪快な「山あらし」で大男を倒していく。この人気小説は、村田英雄の名曲「姿三四郎」を生む。その歌詞には「人に勝つより自分に勝てといわれた言葉が胸にしむ」がある。黒澤明監督のデビュー作品は『姿三四郎』だった。三四郎のモデルは諸説あるが、講道館四天王の一人、西郷四郎6段(1866年生。会津藩西郷頼母の養子)の来歴と全く同じであり、西郷がモデルとされている。

2008年から弘前大学 大学院でスポーツ医学を学び、2012年に医学博士の学位を取得している。古賀は勉強家であった。

古賀塾塾長。、環太平洋大学教授日本健康医療専門学校校長という経歴にもみるように教育者としてもすぐれた活動をしている。

NHKアーカイブスでは、子どもたちに「強くなるのは負けた後、失敗しても諦めなければ必ずチャンスが生まれる」と語っている。

古賀稔彦「練習で限界を超えた自分を知っておかなければ、本番では勝てない」という名言に触発されて、オリンピックの金メダリストの言葉を探ってみた。

1968年尾メキシコ五輪で銀メダル、そして1972年のミュンヘン五輪で男子代表の監督として金メダルへと導いた松平康隆は「金メダルを狙うには、非常識を積み重ねていくしかないんだよ」と語っている。

1972年のミュンヘン五輪で金メダルの栄誉に輝いたアメリカのダン・ゲーブルは「金メダルは金でできているわけではない。汗と強い意志、そしてガッツという希少な金属でできているんだ」という名言を残している。

非常識を積み重ねる。汗と強い意志とガッツ。そして古賀のいう限界を超える練習。水泳、陸上、バレー、野球、サッカー、柔道、レスリング、そして本日、新入幕優勝を果たした尊富士の大相撲など私たちがトップアスリートの世界の魅力に心を奪われるのは、こういった姿勢が共感と共鳴を呼ぶからだ。彼らは人生の師たちである。


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