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「名言との対話」5月29日。福富太郎「最初から日本一になってやろうと思っていたから」

福富 太郎(ふくとみ たろう、1931年昭和6年10月6日 - 2018年(平成30年)5月29日)は、実業家、絵画蒐集家。享年86。

東京出身。15歳でキャバレーのボーイとなり水商売の世界に入る。26歳で独立。1960年東京新橋にキャバレー「新橋ハリウッド」を開店。以後、好不況にかかわらず業績をあげ続け、ハリウッドチェーンを拡大。1965年から1978年までハリウッドは料亭・キャバレー部門の納税額日本一を続け、東京キャバレー協会会長をつとめた。最盛期は直営店29、全国に44店舗となている。このため、「キャバレー太郎」「キャバレー王」とよばれた。

タレントとしてもメディアで活躍している。1970年からのテレビ朝日「ズバリ!身上相談」「アフタヌーンショー」の回答者として人気が出る。福富太郎の意表をついた具体的なアドバイスとふくよかな顔は私の印象に残っている。

浮世絵の収集でも知られる。「戦後最高のコレクター」との評価もある。福富によればコレクターとして「最初から日本一になってやろう」と、食うものの食わず、絵ばかり買っていた。給料は5000円のときに5万円の絵を買っていた。若い頃から収集した美人画戦争画を中心としたコレクションは「福富コレクション」と呼ばれるまでになっている。

福富太郎の目は独特だった。商業美術的世界で活躍していた渡辺省亭、グラフィックデザインの世界の小村 雪岱の作品を収集している。2021年に「渡辺省亭ーー欧米を魅了した花鳥風月画」展を上野の東京芸大美術館でみたが、これほどの画家が忘れられていることに驚いた。文展などには出展せずに注文に応じて描いていたことが原因だった。画壇に属さなかったが、海外では横山大観竹内栖鳳以上になじみがある日本画家だった。福富に縁の深い鏑木清方も「いやぁ、省亭はいいからね」と語りかけたそうだ。

同じく2021年に日比谷図書文化館で、「複製芸術家 小村 雪岱 装幀と挿絵に見る二つの精華」展をみた。資生堂意匠部で仕事をしたこともあり、書籍の装幀や挿絵、そして舞台装置と三つの分野で才能をいかんなく発揮した人である。雪岱も日本画の画壇の主流ではなかった。キャバレーの仕事をしていたことで、女を見る目が違っていたのだろうか。

著作に「昭和キャバレー秘史」がある。「誰にも書けなかったもう一つの昭和大衆史。「朝日人物事典」にキャバレー業界の人間としてただ一人「福富太郎」と名前が載り、この商売を天職と決めている著者にしか書けないキャバレー正史」との解説がある。福富本人は「秘史」と遠慮したが、実は「正史」としての評価である。あやしげな日陰の業界、これを天職、ライフワークとした福富太郎は、その歴史を愛情を持って残そうとしたことに感心した。

福富太郎は15歳で飛び込んだキャバレーという本職にも、絵画蒐集のコレクターとしても、「最初から日本一になってやろう」という志を持っていたのである。そして、ボーイから出発した福富太郎は「キャバレー王」、「戦後最高のコレクター」となったのだ。


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