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「名言との対話」。11月15日。長谷川繁雄「これからの社会を担う人材を育てる」

長谷川繁雄(1929年11月15日〜1986年7月2日)は京都コンピュータ学院創業者。享年56。

兵庫県明石市生まれ。1969年8月、京大の学友であり結婚した長谷川靖子とともに、「事情があって、大学へ行かない子、いやそれ以上に、自覚的に大学へ進まない子を教育するんだ。その子たちを、大学へ進んだものと肩を並べて、それどころか、それ以上の人間にして世の中へ送り出すんだ」という決意のもと、全日制「京都コンピュータ学院」を開設した。情報処理技術教育のパイオニアである。

「パソコンもインターネットもない時代に,先生はコンピュータが時代を変える力だと見抜いただけでなく,京都コンピュータ学院を創立することで,その時代の先頭に立った」。先見の明とパイオニア精神にあふれた人物だった。

京都コンピュータ学院卒業生のための機関誌「アキューム」を読むと、長谷川繁雄の情熱と人柄と、そして影響力の大きさを感じる。

京大で同じ釜の飯を食った仲間への若き日の手紙「授業を始めてから,毎日幼い純朴な心に触れていると,こちらが熱意を示せば示すだけ,それに応えてくれるのが嬉しく,今更ながら,教師という職の良さがわかり,他の職に就こうという気持を放棄するに至りました。受持ちが国語であるからかも知れませんが,他の学科を受持つより以上に幼い心の成長の過程に触れることができるので,僕自身の勉強にもなるのです。それより以上に,愛の実践としての教育に,人生の意義を感じています」

長谷川繁雄に触れた人たちの言葉を以下拾ってみる。「教科書の内容を題材にした絵だったのです。絵をもとに,その話は何を言わんとしているのか,登場人物の心の動きなどをこと細かく説明なさるのです」「やればできるという精神」「ユートピアをつくろう」「情熱と超人的な仕事ぶり」「人生観や思想を手本として生きてきた」「技術ばかりに偏らない幅広い教養を持った創造的な人間になれ」。「独立独行のひと」。「self-madeの人であった。文字通りmade-by-oneself自らを教育し,自らを創り上げた人であった」、、、、

教育という仕事の大事さと奥行きの深さに目覚めた長谷川繁雄は、先見の明とパイオニア精神を発揮して、コンピュータ時代の波がしらを全力疾走したが、1986年7月2日に56年の生涯を閉じる。学院創設からわずか17年であったが、確固たる基礎作りを行った。亡くなった7月2日は雅号に因んで「閑堂忌」となって偲ばれている。閑堂とは世俗から離れ、瞑想にふける閑静な空間という意味である。ピアノを弾くなど芸術家肌でもあった繁雄にふさわしい雅号だ。

同志である妻の靖子が学院長を引き受け、その土台の上に、見事な教育機関をつくりあげた。2004年、伝統と実績を継承し、日本最初のIT専門職大学院として京都情報大学院大学を開学する。京都自動車専門学校のグループ合併、吸収も合わせ、日本、アジア、世界をも代表するコンピュータ教育機関となっている。

繁雄の「これからの社会を担う人材を育てる」という決意は、すでに4万以上の卒業生が、コンピュター時代を担っていることに結実している。「技術のみに長けた人材」ではなく、「応用力もあり人格的にも優れた人」の育成を目標とし、卒業生たちは,各企業から「次第に底光りがしてくる人物」と評されている。

内憂外患のこれからの日本には、時代を見抜く先見の明と、自ら実行に移すパイオニア精神を持った人物教育が重要になる。そのことを長谷川繁雄は教えてくれる。

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