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「名言との対話」12月10日。楠部大吉郎「もう宮仕えはする気はない」

楠部 大吉郎(くすべ だいきちろう、1934年12月10日 - 2005年8月27日)は、日本のアニメーター、シンエイ動画の創立者。

満州生まれ。東映動画の公募一期生として入社し、「少年忍者フジ丸」で作画監督などどをつとめる。社内のトラブルでいやになり、1965年「Aプロダクション」を設立。経営にあたると同時に「巨人の星」のアニメ化に成功する。

その後、新しいAという意味で社名を「シンエイ動画」に改める。経営に専念したが、テレビアニメ「日本名作童話シリーズ 赤い鳥のこころ」、そして「劇場版 ドラエもん」の作品は19年手がけている。

「藤子不二雄ファンはここにいる」(藤子・F・不二雄先生と藤子不二雄Ⓐ先生のファンが綴るブログ)の 2005-09-01 の投稿「楠部大吉郎氏逝去」では、「楠部大吉郎氏は、シンエイ動画設立時のメンバーであり、同社の会長を務めてきた。シンエイ動画の前身にあたるAプロダクションの社長でもあった。言うまでもなくシンエイ動画は、大ブームを巻き起こしリニューアルされながら現在も続いている『ドラえもん』をはじめ、『怪物くん』『忍者ハットリくん』『パーマン』などなど、数多くの藤子アニメを作ってきた会社だ。そしてAプロダクションは、モノクロ時代の作品から、カラーの『新オバケのQ太郎』『ジャングル黒べえ』まで、数々の藤子アニメの制作にかかわった会社である。 楠部氏は、まぎれもなく、藤子アニメの歴史をずっと支えてきた人物なのだ。」と追悼されている。

この人の足跡をみると、アニメに関する実力は飛びに抜けているが、個性が強くよく人と衝突している。ポリシーが明確であり、上司に仕えるということは苦手であったようだ。トップに立って制約なしに活躍し、思う存分に力を発揮している。

実弟の楠部三吉郎が兄を助けるようになった。その弟から「会社の文鎮」という重しの役割を要請され、相談があったときに乗るという姿勢に転換している。この弟も傑物だった。三吉郎は「ドラえもん」のテレビ朝日での放映を実現する。1990年に社長となり、「ドラえもん」、「クレヨンしんちゃん」などのヒットも飛ばした。2010年にシンエイ動画をテレビ朝日の完全子会社にするという大決断も行っている。同族経営から脱却し次世代に引き継ごうとする英断だった。

兄は「もう宮仕えはする気はない」として独立したのだが、弟は「もう同族経営の時代ではない」とし、兄の志だった「アニメ」の生き残りをはかったのである。兄弟そろって見事なものだと感心した。

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