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「名言との対話」12月6日。キダ・タロー「仕事の依頼が来ると嫌で仕方ないんですが、いざ書き始めると楽しくて。まだまだ曲を書きたい。良い作曲をしたいですね」

キダ・タロー(本名:木田 太良(きだ たろう)、1930年12月6日 - )は、日本の作曲家、ピアニスト、タレント、ラジオパーソナリティ。

兵庫県宝塚市生まれ。主に放送番組のテーマやCMソング、校歌、社歌、歌謡曲などの作曲活動を展開している。「プロポーズ大作戦」「ラブアタック!」(朝日放送)、「バラエティー生活笑百科」(NHK総合)などのテレビ番組。「アサヒペン」や「出前一丁」「チキンラーメン」(日清食品)などのCMソング。関西人なら誰もが一度は口ずさんだことがあるメロディーを世に送り出した。代表作のひとつは「かに道楽」(歌はデューク・エイセス)だ。関西では「浪花のモーツァルト」の異名を持っている。

若い頃に「後にも先にも、これを超える衝撃はありませんでした」と振り返るジャズとの出合いがあり、ジャズバンドでの演奏の道に入る。

「ジャズバンドでピアノを演奏すること自体が作曲作業なんです」。楽曲はコード(和音)とメロディーとリズムでできており、それにアドリブでメロディーを乗せる。だから演奏中自然に作曲してることになるのだそうだ。そして「歌詞が〝こう曲を書いてくれ〟と私にいうてくれるんですわ。素晴らしい歌詞を頂くと、それに導かれるんです」というプロセスで作曲が進行する。

ジャズピアノの楽譜には、コード進行とリズムのほか、各セクション(楽器)の動きが書いてあり、楽曲の構造が分かる。このようにして編曲を学んだ。

このように作曲と編曲は実地で身につけていったのだが、膨大な量の曲をつくったいずみ・たくと同様に独学であることが強みになっている。数えたことはないが、3千曲から5千曲を世に送り出したという。2009年には5000曲と言っている。一流の作曲家と言われるには2000曲は必要という持論もあるから、一流を自認しているのだろう。

一方でキダ・タローは対談の名手としても知られている。『キダ・タロー対談ーひと・こころ・いのち これが私の生きる道 26人からのメッセージ』(本願寺出版社)を読んだ。浄土真宗信者向けの月刊誌『大乗』に連載した対談集だ。2年間の予定が、4年間にのびたというから好評だったのだろう。「はじめに」では、意外なことに「小心者」であり、冷や汗の連続であると述懐しているが、本当かどうか、、、。

津本陽「みんな死を忘れて楽しんでいます」。大平光代「生かさせていただけるこの一日にすべてを」。上山善紀「ありがとうございますと生ききる人生」。日下田紀三「いのち伝え、育てる、いのちのしくみ」。君原健二「歩く。花の美しさと、いのちに気づく」。佐々木洋「ゆっくりで間に合うか、この地球」。内田至「二億年のいのちのナゾにせまる」。大村崑「いまやから、オニにならんと」、、、。

対談を読むと楽しそうに語り合っているが、「楽しい経験もいいけど涙が出るほどつらい体験こそ貴重。そういうあちこちで積んだ経験いうのがいざというときやどうにもならんほど苦しいときに役に立つんですわ」という言葉もある。独特の笑顔の裏には苦労がはりついているのだ。

90歳を迎える直前のインタビューでは、「仕事の依頼が来ると嫌で仕方ないんですが、いざ書き始めると楽しくて。まだまだ曲を書きたい。良い作曲をしたいですね」と意欲的だ。作曲数はどこまでのびるだろうか。キダ・タローは本日で91歳。

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