見出し画像

「名言との対話」11月8日。小森敏之「わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい」

小森敏之(1922年3月5日ー1981年11月8日)は、日本の経営者。丸大食品創業者。

香川県高松市生まれ。今宮第五高小卒。証券会社の不破商店での丁稚奉公をしながら夜間の青年学校で学ぶ。復員後、給料の一部を両親にと8年間、社長に預けていたお金も不破商店の倒産で戻って来なかった。やがて肉を扱う水産物加工販売業に転じ、1954年大阪に魚肉ハム・ソーセージ製造販売の丸大食品工場を創設。1958年株式会社に改組、丸大食品と改称する。1961年畜肉ハム・ソーセージ製造を開始。全国的な分散生産体制による新鮮な製品を、独自の「小売店直販システム」によって素早く販売する方式で急成長を遂げ1963には東京に進出。「東の厚木(厚木ナイロン)、西の丸大」と言われるほど、大量の主婦パートタイマーを業界に先がけて採用し、戦力化に成功した。

息子の小森嘉之は、小さい頃から一生懸命に働く両親の姿をそばでみており、働くことの厳しさを肌で感じていた。子育てはいい意味での放任主義であり、そして「やってみなはれ」という体験主義であったと父を評している。また人への感謝の気持ちや金銭感覚などを教わっている。信心深く、「人の目を基準としない。常に天が見ていると思うこと」と言われていた。この考えは「至誠通天」という社是になっている。営業所長を毎年2~3週間アメリカへ研修旅行、パートは入社5年後から香港へ連れて行った。説明するのではなく、「行くのが一番や」という徹底した体験主義者だった。

私の故郷中津でよく買い物に行った「丸食」は丸大食品のグループ企業だったのだ。丸大食品は、現在では日本ハム・伊藤ハム・プリマハムと共に食肉加工業界大手4社の一角に数えられている。

1970年代のCM「わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい」というナレーションが有名になり、当時の流行語にもなった。このCMはよく覚えている。小森敏之の「体験せぇへんかったら、分からへんやないか」も好きな言葉だが、ここでは丸大食品のテレビCMのナレーション「わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい」を名言として掲載することにした。このメッセージは戦後日本の上り坂の時代の子育てへ向けた言葉だった、内向きとなった令和の今こそ、青少年に向けて必要なメッセージだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?