見出し画像

「名言との対話」7月10日。伊藤淳二「未完の如くして完結して居る。果たされない様で果たされて居る」

伊藤 淳二(いとう じゅんじ、1922年7月10日 - )は、日本の実業家。

伊藤淳二(いとう じゅんじ)氏は、1947(昭和23)年、慶應大学卒業後に鐘淵紡績(カネボウ)に入社。オーナー社長・武藤絲治(むとう いとじ / 1903〜1970)の後継者指名を受け、1968(昭和43)年、45歳の若さで社長となる。カネボウは経営多角化を推し進め、1984(昭和59)年、会長に就任。城山三郎『役員室午後三時』- 主人公のモデルとなった。

1985(昭和60)年の御巣鷹山の日航機事故後、政府(中曽根康弘首相)からの強い要請で日本航空副会長(翌年に会長)に招聘される。わずか1年で辞任。山崎豊子『沈まぬ太陽』- 登場人物の国見会長のモデルとなった。

この人が御巣鷹山事故で揺れるJAL再建の切り札として乗り込んできたとき、私は35歳の広報部員だった。伊藤会長のインタビューなどにも同席したことがある。

今回、 1988年刊の『天命』の(復刻版)を読んだ。信条は「天命を信じて人事を尽くす」だ。結果は期待に反することもあるが、最善を尽くしただけを反省する。1985年に政府の強い要請によって日航の経営陣に加わったことを、二度目の召集令状を受けたと記している。結果については賛否はあるが、その心持は疑う余地は無いように思う。

伊藤淳二は優れた人との出会いを求めた人であり、そして読書をよくする人である。

若き日には和辻哲郎からは「葉隠れ(岩波文庫)をすすめます」とアドバイスを受けている。阿川弘之の「国を守るとは一体どういうことなのだろう。男が守るべき具体的対象は、まず愛する女と子供、親兄弟なのではないか、、」に共感している。

慶應塾長の小泉信三からは「この戦いは、戦争に負けたのではない。残念ながら、アメリカの民主主義に負けたのだ」、そして「オネスト・ダラーのために働き給え」とアドバイスを受けている。

中に河合栄治郎の言葉がある。「母を失ったということは、僕にとって実に大きな損失である。本当に喜びを共にして呉れる人がいなくなって、之からの世渡りに楽しみはなくなってしまった」。この言葉は最近母を亡くした私の心に刺さる。この言葉を選んだ伊藤は同じような経験をしたのではないだろうか。

まだ手にしていないが、『人生』という著者は、「 孔子のことば、読書について、自由主義と社会主義、正道と権道、人間の価値と善について、鐘紡会長である著者が、若き日々に考え抜き、その拠って立つべき価値のありかを書き記した、殊玉の人生論集」と紹介されている。『論語』や人格主義に大きな影響を受けた人のようだ。

伊藤淳二は、「美しい人生とは美しい晩年を送り得る人、人生の一瞬一瞬をかみしめ「今」に燃え、毎日毎日を精いっぱい送る人であろう」という。大いに共感する。

そして、「未完の如くして完結して居る。果たされない様で果たされて居る。大切なことは、その時、自分の可能性の全てを尽くしたか否かであるように思う」という言葉で『天命』の最後に語っている。

未完であるがそれなりの完結している。目的を果たし得なかったようで果たしている。そういう美しい生涯があるかもしれないと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?