「名言との対話」8月5日。エンゲルス「マルクスの生きているあいだ、私は第二バイオリンをひいていたのである」
フリードリヒ・エンゲルス(ドイツ語: Friedrich Engels、1820年11月28日 - 1895年8月5日)は、 プロイセン王国の社会思想家、政治思想家、ジャーナリスト、実業家、軍事評論家、革命家、国際的な労働運動の指導者。
マルクスといえばエンゲルス、エンゲルスといえばマルクスと返ってくるように、2人は生涯の盟友で、科学的社会主義の世界観を構築した。いわば世界を変えた2人となった。エンゲルスはマルクスより2歳ほど年少である。
1844年、24歳のエンゲルスはパリで26歳のマルクスに会う。それから2人は終生にわたり、友情と協働に明け暮れる。1845年にブリュッセルで共同して唯物史観を提示する『ドイツ・イデオロギー』を刊行する。1847年、マルクス『共産党宣言』を刊行。
1948年のドイツ3月革命に参加したが敗北し、マルクスの後を追ってイギリスに亡命し、マルクス一家に経済的援助を続けた。
1870年にロンドンでマルクス一家の近くに居を構え、『空想より科学へ』などを執筆。歴史的著作『資本論』は、1867年に第1巻が刊行されたが、1883年にマルクスは遺稿を残したまま死亡する。「人類は首を、しかもそれが当代にもっていた最も貴重な首をはねられてしまった」と市況の翌日に友人への手紙に書いている。エンゲルスはこの書の完成に心血を注ぐ。1885年に第2巻、1894年に第3巻を公刊した。その翌年に、マルクス・エンゲルス全集の準備を始めたが74歳で亡くなっている。
「自由は外的な事実の中にあるものではない。それは人間の中にあるのであって、自由であろうとするものが自由なのだ」とエンゲルは自由について述べている。
エンゲルスは企業経営者の家に生まれた。その学識は恐るべきものだった。経済学、哲学、文学、神学、言語学、自然史、化学、植物学、物理学に及び、外国語は20の言語を操れた。しかも兵学にも長じており、普仏戦争では大活躍し、「将軍」とも呼ばれた万能の人だった。
エンゲルスの生涯を追うと、『共産党宣言』や『資本論』に代表されるマルクスの思想は、友情と尊敬をもったエンゲルスという伴走者がいなければ、陽の目を見ることはなかったのだろうという気がする。
ここではマルク主義の内容を離れて、エンゲルスという人物の生涯を概観してみたい。24歳でマルクスと出会い、ともに執筆と運動に力を注いだ「青年期」。50歳あたりからマルクスの近く住んで63歳まで一緒に仕事をした、第二バイオリンをひいた「壮年期」。マルクスの死亡後10年の、遺稿をもとに『資本論』の完成に力を注いだ「実年期」は、第一バイオリンの演奏を完成させる役目を果たした。私の「人生区分」でみると、こういう生涯だった総括しておこう。
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