2021-10-13 「図解塾」課外授業10回目ーーテーマは「独学者列伝」

以下、塾生の感想。

本日も濃い2時間をありがとうございます。いつもながら長年にわたり蓄積された人物記念館、「名言との対話」データベースの威力はすごいと思いました。「独学」のテーマで非常に多くの人々の生き方や学び方を教えていただきました。この時間の最初に「独学とは」という問いがあり、ほぼ全員が「自主性」という意味のことを答えていましたが、話を聴いているうちに、「既存の権威によりかからない」「学歴に頼らない」「その分ものすごい勉強量”怒濤の仕事量”」ということに気付きました。そして、すでに社会は学歴や組織に頼る時代ではなくなってきています。型にはまらない能力をつぶさないで生かせる環境をどう作っていくか、上の世代の大きな責任です。また、独学について思い出したテレビの番組がありました。それは「ブラタモリ」。地域の解説をする方たちは、必ずしも大学教授などではなく地域に根ざして長年研究をしてこられた方も少なくありません。また、先週の「青天を衝け」の中で渋沢栄一の父親が亡くなりますが、仕事の傍らずいぶん本を読んでいたことが分かりました。課外は図解塾のメンバーでなくても参加できるとのことで、今後、これはと思う方に声を掛けてみようと思います。
本日もありがとうございました。独学のテーマでの人のお話。毎回思いますが、先生の名言との対話こそ独学ですね。それをお話いただいて、ものすごくお腹いっぱいとなりました。自分がこれ!と思ったことをとことん突き詰める。他人のまねをしない。それが、自分で自分を作る。自分というものを表現する場をもつ。ということになる、ということですね。これからの自分のヒントとなることばかりでした。ありがとうございました。次回はまたまた千本ノックですね。よろしくお願いいたします。
久恒先生、皆様、本日もお疲れさまでした。今回のお題は「独学」。「我流」とか「素人はだし」などという、どちらかというとあまり好意的に受け止められ難い、ネガティブな意味合いとして捉えていた言葉でした。今迄の「学び」の認識は、既存のカリキュラムに沿って知識要素をひたすら積み上げるというモノ(いわゆる、勉強)でしたが、確かにこれだけですと「何の為に学んでいるのか」先が見通せない為、なかなか持続は難しそう(いや、できなかった)。何よりも皆同じプロセスで学んだ成果はこれまた皆同じ凡庸なものでありましょう。一方、本日の言葉のシャワーで浴びせ掛けられた、あらゆる第一人者の名前と夫々の「独学」で成した学びの背景を知ることで、俄然ポジティブで発展性に満ちた真の「学び」であると、がらりと印象が変わっていきました。共通した「独学」のプロセスは、①ハングリーな状態で「すごいもの」と出会う。②その「現物」に益々興味を覚えのめりこむ(好奇心)。③周りの目を気にすることなく、時には勇気をもってその世界へ飛び込んでいく。④素直な心で様々な情報を否定せず咀嚼・吸収していく。⑤益々のめり込みを継続し、結果一つの世界観を得る。⑥嫌われようが誰もが認める「独創的な魅力」をモノにする…あー、安藤忠雄さんのお写真眺めながら、なんか勝手に納得してしまいましたが、果たして自分にとっての「すごい出会い」とは何やねん!とセルフ突っ込みしつつ、今後も学び続けるぞと思いを新たにした次第です。次回もよろしくお願いいたします。
久恒先生本日はありがとうございました。今の自分にとって、先達の広がりと深まりを味わい、勇気と自己確信が得られた時間でした。これまでの独学者の残した言葉や学び方、歩んだ道のりを全て彼らの意図する解像度で理解できているわけではありませんが、これまで自分が歩んできた文脈と部分的に共鳴するものがあり、自己確信の高まりにつながりました。 正直なところを広げると、私にはわかりやすい学歴がなかったり、ずっとあまのじゃくに生きてきた所がありました。いくつかとりわけ今回自分に響いた内容を自分の文脈と併せて共有させていただくと、・江崎利一「学問に実地が伴えば、鬼に金棒であるが、実地に学問が伴えば、それこそ鬼に金棒以上のものであろう」学校や書物から得た学びに体験が追い付いたときに感じた感触が前者のイメージ。後者のイメージも自分のここ一年半近くの活動の中で起こったことに近いと感じました。約一年半くらい前から、言葉あそびが好きでにキャッチフレーズや屋号等を考える「言語化のお手伝い」をしていました。進めていくうちに何のためにキャッチフレーズがほしいか、自分だけのキャッチフレーズが出来上がると何が捗るかという深掘りをするようになりました。すると、「それができると自分がはっきりする」、「自信がつく」。それを受けて、「じゃあそもそもそうして自信を得られないのか」というような、まずモヤモヤの紐解き、言葉にしていく時間になりました。もはやそれは「言語化のお手伝い」ではなく、1対1のカウンセリングの提供でした。限りなく目の前の人のニーズに寄り添おうとはしたものの、率直に言って自分はやぶ医者でした。それからは、普遍的な人との向き合い方を学問の面と実地の面で経験を積み重ねていきました。学問を伴った実践者に話を聴いたり、発達心理学からキャリア形成論、メンタルモデルにU理論、傾聴、最終的にはナラティブ・アイデンティティという概念に至りました。学問的に紐解かれてい民間の概念においても、伝統的な意識進化のプロセスに触れるべくネイティブアメリカンのFirst Peace Circleに触れたり、本質的なつながりを味わうアティテューディナル・ヒーリングなど、実地につながる学びを深めていきました。そうして、そのすべてを折々の対人セッションで実地を重ねていきました。今振り返ると、忙しくも充実していた時間であり、好奇心の赴くままの探求だったので、自分の持つ伸び率もえげつないものがあったと思えます。・レオナルドダヴィンチ「自分は無学だ」「知恵は経験の娘」 そうした実地を重ねていく中で、人との向き合い方や「悩みとは何か。どこからきて、どこへいくものか」、パターンやサイクルに自分なりの仮説が見えてきました。まさに経験が生んでくれた知恵だったと言えるのかもしれません。とはいったもの、独学を進めれば空埋めるほど、世界には知らないことであふれていたり、自分が紡いだ知恵を別の言葉で表現されていることがあることにすぐに気が付きました。ああ、無知の知。僕はレオナルドダヴィンチではないけれど、そうして体感した世界が紡いできた叡智の広さと深さの前には、思わず「自分が無学だ」と打ちのめされるような、一生味わい尽くせるなあと不思議とぞくぞくする気持ちがありました。それからは、人の言葉や読書は半部答え合わせのような、別解や似た結論でもどのような旅路をたどってきたのか形になったものなのか、プロセスを味わう喜びを知りました。・広岡浅子「犠牲的精神を発揮して男子を感化する者とならねばなりません」 お話を聴いてふと感じたこと。俗っぽい言葉になりますが、「男を尻に敷く」技術・手段こそ学問だったのかもしれません。男の実地に金棒を添えるもの、または女性起点の学問が男の実地を動かしていくという視点もあるのかも知れません。ここまで書いて、自分の独学を思い返した時、ふと一つの疑問が沸き上がってきました。独学者たちの学びを振り返りはどのように行われていたのか、どのようないみをもっていたのかということです。自分にとって学びの振り返りとは、大きく分けて二つの意味合いがあります。一つ目は、学習の定着のための定期的なメンテナンス。これは世間的にも学習局セなどの話で語られることが多いなと思います。二つ目は、自分の学びがこれまでどのような歩みをしてきたのか振り返り、「何のために始めた学びだったか」、「その学びは当初のニーズに適っていてるか」、という検証から次の学びの旅路の方向性を策定する時間という役割です。このプロセスが、学びを癒し、次に深めたいものを見つけための泳ぎたい広がりの海の方角を教えてくれるようなイメージがあります。ふと内容を振り返り味わっただけで、思った以上の文量になってしまいました。今日得たことは自分の体感とともにひとつずつ味わっていき、今後も自分の目指したい世界観のため、好奇心の赴くままの独学を続けていきます。(ゲスト)

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図解塾塾長は、久恒啓一(多摩大学特任教授)。 全体と部分、構造と関係を鳥瞰できる「図解」は文章地獄と箇条書き信仰で汚染された世界を一新する…

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