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「名言との対話」(戦後命日編)6月11日。長谷川伸「ま、いっしょに勉強しましょうよ」

「名言との対話」(戦後命日編)。長谷川伸「ま、いっしょに勉強しましょうよ」

長谷川 伸(はせがわ しん、1884年(明治17年)3月15日 - 1963年(昭和38年)6月11日)は小説家、劇作家。

実家が没落したため小学校2年までしか行けなかった。船渠勤めから様々の仕事についている。体より頭を使う仕事をしようと考えるようになり、好きだった芝居の評を新聞社に投稿し、それが縁で1903年にその新聞社の雑用係として入社する。横浜毎朝新報社では、事件・事故の記を事担当。1911年から都新聞社の演芸欄を担当する記者となる。30歳くらいから小説に手を染め、新聞記者としての職業的な修練の延長で小説家の道を歩むようになった。

1914年前後に講談倶楽部や都新聞に筆名で小説を発表しはじめる。1922年以降は菊池寛の助言を受け、長谷川伸として作品を発表するようになる。 1926年に都新聞社を退社、作家活動に専念した。

長谷川伸は「股旅物」の創始者だ。最下層の人々、汚名を着せられて忘れられた人々の名誉回復をテーマとしており、「沓掛時次郎」などが代表する股旅物もその一つのバリエーションだった。主人公たちはみな、自分はあわれな女を救う立派な男でありたいと願う男たちであった。

戯曲でも名作を残している。生母とも早くに生き別れ、47年の歳月を経て再会した自身の経験から書いた「瞼の母」、駒形茂兵衛の「…… せめて、見て貰(もら)う駒形の、しがねえ姿の、横綱の土俵入りでござんす」というセリフで有名な「一本刀土俵入り」、「関の弥太っペ」など。

長谷川伸は、ある時期から流行作家から離れて、民衆史の探索者として史実の探索に入っていく。「木村亀太郎流血記」は、祖父の事績の探索に打ち込んでいく下級役人の姿を描いた。亀太郎は自らの分身であった。無名の民衆の代弁者は、その背後に存在する人々の代弁者になりうる。他人のための仕事としての記録文学に打ち込んでいく。

長谷川伸は、後進の育成にも力を注いだことも際立っている。主宰していた小説勉強会「新鷹会」の門下生には山手樹一郎、山岡荘八、戸川幸夫、平岩弓枝、池波正太郎、西村京太郎らが名を連ねている。人を育てた人である。79歳没。遺志により1966年には長谷川伸賞が設立された。またやはり長谷川の遺志により財団法人・新鷹会が設立されている。

耳で聴くオーディブルの「講演・エンターテイメント」の女性作家たちの講演録を聞いたことがある。文藝春秋社の文化講演会での講演録である。それぞれ1時間弱の中身の濃い講演だった。平岩弓枝「秘話かわせみ」では、「御宿かわせみ」の執筆にまつわる話とともに、師匠・長谷川伸と兄弟弟子たちとの濃密な修行の日々が語られていて興味深かった。

映画の原作となった回数は、長谷川伸は日本で最多であろうが、その書物は容易には手に入らなくなっていた。1972年に朝日新聞社から『長谷川伸全集』全16巻が刊行され、作品を読めるようになった。全集の意味はそこにある。

『長谷川伸論 義理人情とはなにか』(岩波現代文庫)を書いた佐藤忠男は「通俗作家ではなく、近代日本の思想家であり、その思想とは、義理人情であり、侠気であり、意地であった」と述べている。佐藤忠男はこの本の「あとがき」で、日本映画の作家論を何冊か書き継ぐことによって近代日本の思想史を記述しようという自らの野心を語り、それを実行していた。それをライフワークである日本映画史研究の主要な部分だとしている。1975年にこのことを書いた佐藤は、この野心とライフワークを完成したのだろうか。気になるところだ。

門下生の一人である池波正太郎は、25歳で入門している。「(作家は)男のやる仕事としては、かなりやり甲斐のある仕事だよ。もし、この道へ入って、このことを疑うものは、成功を条件としているからなんで、好きな仕事をして成功しないものならば男一代の仕事ではないということだったら、世の中にどんな仕事があるだろうか。こういうことなんだね。ま、いっしょに勉強しましょうよ」と激励されている。

長谷川伸は不運をもたらす社会への憤りには触れない。苦労人であった長谷川伸は運命論者であり、運、不運はいつの世にもあると考えていた。「運、不運はそのときだけのもの、運がのちに不運ともなり、不運がのちに運のもとになることがある。今のおまえが『自分は不運だ』とがっかりしたら、一生の負けで終わりになる」。好きな仕事をしていけばいい。運がなければ成功しないし、運がよければ成功することもある。それでいいじゃないかという人生観だった。「ま、いっしょに勉強しましょうよ」という言葉が、池波正太郎だけでなく、多くの作家を導いたのである。長谷川伸の弟子たちの名前を聞くだけで、長谷川伸の影響の山脈の豊かさを知ることができる。わたしたちは連綿と続くその恩恵にあずかっているのだ。

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