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6月23日。 吉永祐介「巨悪は眠らせない」

吉永 祐介(よしなが ゆうすけ、1932年(昭和7年)2月14日 - 2013年(平成25年)6月23日)は、岡山市生まれの検察官(第18代検事総長)。

第六高等学校が学制改革で岡山大学に包括され岡山大法文を卒業。在学中に司法試験合格し、1955年検事任官。東京地検検事正。1991年広島高検検事長。1992年宮澤喜一内閣の改造で法務大臣が後藤田正晴となった。この時の就任第一声が「吉永君はどこにいるのか」だった。大阪高検検事長から東京高検検事長を経て、後藤田の評価と現場の「吉永コール」に応え、1993年検事総長に就任。

東京地検特捜部在任中の13年8ヶ月の間には日通事件、協和製糖事件、副部長時代の1976年に田中角栄元首相を逮捕、起訴。特捜部長時代にはグラス・グラマン事件捜査を指揮。リクルート事件でも捜査を主導。検事総長時代にはゼネコン汚職、オウム真理教事件の捜査を指揮した。「首相の犯罪」捜査では、ロッキード社の幹部コーチャン証言の時には、「米国人は聖書に手を置いて証言するから嘘は言わない」と語っている。

原田國男『裁判の非情と人情』(岩波新書)という 2017年度の日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した元東京高裁判事のエッセイを読んだことがあるが、この本の中に吉永祐介検事総長は尊敬する先輩として名前が出てくる。仕事と趣味を含めたトータルの「人間の器」が大きな人と出会う喜びを原田は記している。裁判官は文芸作品や小説を読むべきだ、なぜなら裁判官に欠けている、情と人情を勉強できるからだ、という原田は、池波正太郎『鬼平犯科帳』と映画の山田洋次『男はつらいよ』シリーズをすすめている。

吉永祐介は特捜部の絶頂期を形づくり、「巨悪は眠らせない」という名言を吐くなど大事件を手がけた「ミスター検察」と呼ばれた仕事師だった。 「われわれは汚れたところをきれいにするどぶさらい」だと言い、同じく池波正太郎『鬼平犯科帳』の主役である長谷川平蔵を好んだという。検事も裁判官も、その理想は「長谷川平蔵」だったのだ。現代の司法はその伝統を継いでいるだろうか?


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