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「名言との対話」5月21日。野口英世「私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ」

野口 英世(のぐち ひでよ、1876年明治9年)11月9日 - 1928年昭和3年)5月21日)は、日本医師細菌学者。享年51。

順天堂医院,伝染病研究所の助手をへて明治33年渡米。ロックフェラー医学研究所につとめ、44年梅毒病原体スピロヘータの純粋培養に成功した。アフリカで黄熱病研究中に感染し、アクラ(現ガーナの首都)で昭和3年5月21日死去。53歳。

153CMという短駆であり、幼時に火傷で左手を変形するが苦難にめげなかった野口英世という人物には、向上心を促すための言葉が実に多い。刻苦勉励型。己を持す「己持」、「至誠」、「精神を養う「養神」、動かない「動不」。母校の翁島小学校で「成功の秘訣」を聞かれた英世は「目的・正直・忍耐」という言葉を贈っている。

短い生涯で取り組んだテーマは実に多い。蛇毒、狂犬病結核、梅毒、オロヤ熱、ワイル病、ロッキー山紅斑熱、つつが虫病、黄熱、小児麻痺、トラコーマ。

たびたびノーベル賞候補になっている。1914年、1915年、1920年の3回だが、前2回は最終選考の11人、9人に残っていた。その後、第一次世界大戦の勃発で4年間「該当者なし」という時代が続いたのは不運だったというほかはない。以下、野口英世の言葉。

「天才なんてあるものか! あるのは努力だけだ! 誰よりも三倍、四倍、五倍努力勉強する者、それが天才なのだ! 」

「忍耐、正直は最良の策である。忍耐は苦しいがその実は甘い」

「人は四十になるまでに土台を作らねばならぬ」。

新しいお札の人選が和田になっている。1万円は福沢諭吉から渋沢栄一。5千円札は樋口一葉から津田梅子。千円札は野口英世から北里柴三郎。いずれも「先駆者」である。渋沢は日本資本主義の父、津田は女子教育の先駆者、北里は日本医師会の初代会長。いずれも偉い人であるが、私の所論は「偉い人とは影響力の大きい人」である。

2005年に猪苗代の野口英世記念館を訪問した。19歳で上京するときに、家の床柱に「志を得ざれば 再び此地を踏まず」とナイフで刻み、その決意のあとが残っている。猪苗代湖の湖畔にある記念館には達筆で自筆の「忍耐」という碑と、「忍耐、正直は最良の策である。忍耐は苦しいがしその実は甘い」という言葉が英文とともに記された碑がある。野口記念館は、人が多い。子供連れが特に多い。教育効果を考えてのことだろう。英語とともに、韓国語の表示があった。韓国からの訪問者も多いのだろうか。

アメリカでは、エジソンと子供の頃の貧しい境遇が同じであり意気投合している。また負けず嫌いで、相手が負けるまで、夜があけるまで勝負ごとを行ったらしい。中南米では、黄熱病対策のため1918年エクアドル入り。到着後9日目で病原体を発見。血清と 野口ワクチンをつくり、驚異的な高い死亡率を16%に減少させた。そのため陸軍大佐に任命されている(国内最大の名誉)。

野口を記念した建物などは実に多い。メキシコには記念病院、ペルーには記念病院、野口英世学園、ブラジルには野口通り、ガーナにはグチ・メモリアル・インスティテュートなど。人命を救った功績は偉大であることがわかる。

1928年5月21日。黄熱病の研究で、アフリカのゴールドコーストに死す。「博士は科学への献身により、人類のために生き、人類のために死せり」という碑が残っている。

私には1000館近い人物記念館をめぐる中で、世の中で名を成している人は母親が偉かった人が多いとの感慨がある。「頼りにならない父だけど 母の苦労に報いたい」は、猪苗代の記念館の食堂に掲げてあった「野口英世」という歌の歌詞である。偉い人の父親はいろいろだが、母親は総じて偉い場合が多いように思う。その母親が今の日本をつくったのだ。

以下、余談。1878年に歯科医を開業した高山紀斎は、慶應義塾学び、アメリカ留学中に歯科医療に感銘を受け、帰国後医業免許を取得し開業する。高山は歯科医師試験受験のための私塾「高山歯科学院」を設立した。現在の東京歯科大である。この学院の講師の血脇守之助は野口英世をこの学院のスタッフとして収入の道をひらくき、野口の左手の再生手術をとりはかるなど生涯にわたり、援助を惜しまなかった。野口英世は歯科から出発したのである。

2010年に新宿の「野口英世記念会館」を訪問した。前から一度訪問したかったところだった。野口英世記念会が運営する会館である。野口英世記念医学賞、野口英世記念奨学金、などの資料が展示されている。野口英世銅像やモニュメントは、161点もある。ニューヨークなどの外国から、日本では小学校、中学校、大学などに多い。
母シカの手紙が涙を誘う。「おまイの。しせ(出世)にわ。みなたまけました。、、、。ドかはやく。きてくだされ。、、かねを。もろた。こトたれにもきかせません。それをきかせるトみなのれて(飲まれて)しまいます。、、いっしょのたみて。ありまする。、、ねてもねむられません、、」。野口は達筆で、油絵もうまい。渡辺淳一の野口の伝記「遠き落日」を読みたい。野口の伝記の嚆矢と言われる奥村鶴吉編「復刻 野口英世」(財団法人野口英世記念会発行)を購入した。出生から手の大やけどあたりを少し読んだが、胸が熱くなる。

2000年に朝日新聞が「この1000年の優れた日本の科学者」を問うた読者投票を行ったところ、1.野口英世 2.湯川秀樹 3.平賀源内 4.杉田玄白 5.北里柴三郎6.中谷宇吉郎 7.華岡青洲 8.南方熊楠 9.江崎レオナ10.利根川進だった。私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ」といった野口英世は、この1000年で一番の科学者となった。志を十分に果たした人である。

野口英世における「何事か」は、医学の進歩に貢献することにより、世界の多くの人命を救うことだった。私のとっての「何事か」とは何か。畢竟、それが人生の一大問題だ。


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