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「名言との対話」8月3日。阿川弘之「『自分はこういう人間だ』などと決めつけるのは何とももったいないことです。人はどんどん変わっていける」

阿川 弘之(あがわ ひろゆき1920年大正9年)12月24日 - 2015年平成27年)8月3日)は、日本小説家評論家。享年94。

私の履歴書」では、「地方の平凡な中流家庭に生まれ、小学校から大学まで、ごく平坦平凡な学生生活を送り、戦争中は海軍に従事して多少の辛酸を嘗めたが、戦後まもなく志賀直哉の推ばんにより文壇に登場、以来作家としてこんにちに至る」と回顧している。

地方とは広島市であり、大学は東京帝大文学部国文科である。作家としては、海軍体験をもとにした『春の城』『雲の墓標』などの戦記文学や、『山本五十六』『米内光政』『井上成美』の三部作、そして『志賀直哉』などがある。戦争の本質を追い続けた作家である。戦後の手のひら返しの民主主義には違和感を持ち、批判的な保守派の論客でもあった。1999年には文化勲章を受章している。

阿川弘之『大人の見識』(新潮新書)は、オビによると「軽躁なる日本人へ 急ぎの用はゆっくりと 理詰めで人を責めるな 静かに過ごすことを習え、、」「作家生活六十年の見聞を温め、人生の叡智を知る。信玄の遺訓と和魂・国家の品位・幸福であるための条件・ユーモアとは何か・大人の文学・われ愚人を愛す・ノブレス・オビリージュ・精神のフレクシビリティ・ポリュビオスの言葉・自由と規律・温故知新」となっている。

『文藝春秋』巻頭随筆『葭の髄から』を1997年6月号から2010年9月号まで連載をしており、文春を開く時にはコラムを読むことがく、楽しみにしていた。連載をまとめた単行本・文庫本は4冊出版されている。
今回の「語りおろし」の本は、大人の見識を持った人々のエピソードで、テーマを洒脱に語っていて共感する部分も多い。

まだ私がビジネスマンだった40歳頃のこと、阿川先生にお目にかかったことがある。広報の責任者をしていたときに、頼んだ原稿の件で、部下の対応に問題があって謝りにご自宅に伺った。ご本人も自ら「瞬間湯沸かし器という綽名をもらっている」とこの本の冒頭の「老人の不見識---序に代えて」で述べているように、怒りっぽいことは知られていた。
電話でアポイントをとろうとしたら、体調を崩されて入院から戻ってこられたばかりだったことがわかったので、まずお見舞いの花束を贈っておいた。そして数日後、約束の時間の5分前にご自宅の呼び鈴を押した。阿川先生の本では海軍の習慣である「五分前の精神」のことを書いておられたので、私もこれにならった。応接間でお詫びを申し上げて、先生の本の話題をする中で、五分前の精神のことを話題にしながら、日本海軍について話していたら、「あなた海軍ですか?」と嬉しそうに言われて驚いた。「いえ、私はそんな年ではありません」と答えて大笑いになった。前の職場で人事関係の仕事をしていたので、海軍の人事制度の勉強をしていたのが役に立った。
その後、会社の創立記念の論文募集の審査委員長をお願いしたが、このときは、担当課長である私の意見と社長の意見が食い違っておかしな雰囲気になったが、阿川先生にうまくおさめてもらった記憶がある。

その後、アメリカにいた長男の阿川尚之さんから電話をもらって何かを頼まれたことがある。尚之さんは1951年生まれで、ジョージタウン大学ロースクールを卒業した弁護士だった。「アメリカが嫌いですか」という本を書いて話題になり、慶応義塾大学の教授、その後は日本政府のアメリ公使を引き受け、「憲法で読むアメリカ史」で2005年度の読売・吉野作造賞を受賞している。慶応の総合政策学部長にも就任した。

長女の佐和子さんはエッセイストとして大活躍していて、同世代の独身の壇ふみとのやり取りの本も面白い。

仙台で阿川先生の末っ子(三男)の敦之さんと酒を飲んだことがある。この本では高校一年生になったときに「五分間論語」を強制されている。晩飯の前の五分間、親子差し向いで論語素読をするという趣向だったが、お互いに忙しくなって途中で終わっていて、阿川先生は「惜しかった」と悔やんでいる。この末っ子は私の勤務していたJALに入って一時仙台支店にいたのだ。まだ20代半ばの青年だったが、阿川生先生のご自宅を訪問した時のことを話題にして一緒に飲んだことがある。

「大人の見識」を読みながら、そういう懐かしい思い出がよみがえってきた。味わいのあるエッセイやこの本のような語りおろしというスタイルを使って、私たち若い者を諭していただきたいものであると思っていた。

阿川の「人はどんどん変わっていける」というメッセージをいくつになっても信じていこう。


大人の見識(新潮新書)

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