「名言との対話」1月31日。小島政二郎「眼中の人」

小島 政二郎(こじま まさじろう、1894年(明治27年)1月31日 - 1994年(平成6年)3月24日)は、日本の小説家、随筆家、俳人。100歳のセンテナリアン。

東京下谷生まれ。慶應義塾文学部在学中の1916年に『オオソグラフィー』を書く。オオソグラフィー (orthography)とは正しく記述する際のルールである正書法を意味する。日本語には正書法はないといわれている。ここにあげられた17人の作家たちの誤字、誤用をしてきた。その一人の森鴎外は反省をこめてて手紙を書いている。

卒業後は、鈴木三重吉の『赤い鳥』の編集に携わる。その縁で鈴木の妹と結婚している。

1919年には慶應義塾大学文学部の講師となり、後に教授となるが、37歳で退任。

『一枚看板』や『緑の騎士』で人気作家となる。映画となった作品も多い。1934年には芥川賞、直木賞の選考委員になっている。菊池寛から頼まれたのであろう。

小島政二郎は伝記小説が得意だった。29歳、神田伯龍。49歳、芭蕉。67歳、村松梢風。73歳、明治天皇。75歳、谷崎潤一郎。77歳、魯山人。83歳、芥川龍之介。88歳、初代中村吉右衛門。小島は大衆小説を書いていたが、生涯を通じて人物の伝記を書いた人だということがわかる。しかし、知人、友人、先輩のあからさまな批判と真実を暴露するから、嫌われ、恐れられた。

一方で、1951年から1968年にかけて雑誌「あまカラ」に連載された随筆『食いしん坊』は大きな反響を呼んでおり、食通としての名も高い。

小島は百寿をむかえたセンテナリアンである。米寿を迎えたときには、「長寿は天からの授かりもの。私なんか体に悪いことばかりしてきたのに」と語っている。長生きする人の中には、こういう人もいる。

小島政二郎に関しては、「眼中の人」という言葉を採りたい。若い時に書いた自伝的作品『眼中の人』がある。この作品については自身では、下手だが、一途な作品であると回想している。これは兄事した2歳年上の芥川龍之介と6歳年長の菊池寛を題材にした作品である。二人は颯爽とした芥川と粗野な菊池という優れた人物との交流とエピソードなどを描いた作品である。常に眼中において、気にかけ、意識しておく人という意味である。「眼中にない」といういい方をすることがあるが、その反対だ。誰を眼中におくか、それが問題である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?