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「名言との対話」9月18日。藤沢昭和 「まーるい緑の山手線  まんなか通るは中央線  新宿西口駅の前  カメラはヨドバシ カ・メ・ラ」

藤沢 昭和(ふじさわ てるかず、1935年(昭和10年)9月18日 - )は、日本の実業家。ヨドバシカメラ創業者。

長野県富士見町生まれ。1949年頃から、父の良作が東京に出てカメラ関係の商売を始める。息子の藤沢昭和は1960年に東京・渋谷区本町で藤沢写真商会を創業。1967年に東京・新宿区淀橋に淀橋写真商会を設立し、1974年にヨドバシカメラに社名を変更。1989年4月に日本で最初ともいわれるバーコードを使った「ポイントカード」システムを開発して発行した。POSレジ導入時に、「利益をお客様に還元して喜んでいただこうと考えた」のだ。

2019年3月の売上高は6931億円、経常利益は573億円(経常利益率8.3%)、23店舗を展開し、従業員数は5000人となる。2021年3月期の売上高は7,318億円、経常利益は493億円とコロナ禍でも好調だ。

藤沢昭和は2020年7月1日付けでヨドバシカメラの社長を息子に譲り、代表権のある会長に就任した。持ち株会社ヨドバシホールディングスの社長は引き続き務めている。

1979年代に「新宿カメラ戦争」という言葉があった、九州のカメラチェーン「ドイ」が、新宿西口に出店し、ヨドバシカメラに戦いを挑んだのだ。互いに価格を密かに調査し安売り合戦となった。ヨドバシは「さくらや」の牙城だった東口にも出店し、新宿を戦場に競い合ったのである。マスコミも面白おかしく取り上げ、新宿は安売りカメラのメッカとなった。勝敗はヨドバシの勝利に終わっている。

2000年代の私の仙台時代には駅前にヨドバシがあり、よく通った。ヨドバシは旧国鉄用地の駅前の一等地に大型店を造っていた。仙台でラオックスが大きなビルで登場したとき、ヨドバシは危機だとうわさをしており、ヨドバシは負けるだろうとのうわさだった。ところがその数年後には、ラオックスの方が敗れて撤退してしまう。ヨドバシの社員は業務知識が豊富で、その武器が危機を救ったのだ。大したものだと私も思ったことがある。

日経ビジネスのインタビューでは、主要都市の駅前一等地に大型の自社店舗を構え、「持つ経営」で成長を続けてきたと紹介されている。「自分の地べたの上で商売をしたい。自分の地べたの上だったらもうかっても、もうからなくても追い出されることはない。先を見て商売をしているから、自分で持っていたほうがいいのは明白だ」と「持つ経営」を語っている。
ヨドバシカメラには有名なCMソングがある。「まーるい緑の山手線  まんなか通るは中央線  新宿西口駅の前  カメラはヨドバシ カ・メ・ラ」はよく知られれている。聞く人の頭の中に地図を植え込むCMソングの傑作である。この歌は耳に残っているから、客は自然と足が向かう。このCMソングは今でも口ぐさむことができる人は多い。


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