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「名言との対話」(戦後命日編)2月11日。西村伊作「若い時、いろいろなことを知るだけでなく、いろいろなことをするのがよい」

西村 伊作(にしむら いさく、1884年9月6日 - 1963年2月11日)は、日本の教育者。

大正、昭和を代表する、建築家、画家、陶芸家、詩人、生活文化研究家。文化学院の創立者としても知られる。

伊作(イサク)はクリスチャンであった父親が、聖書に因んだなずけた名前である。弟たちも同じく、マルコ(眞子)、スティーブン(七分)と命名されている。

2017年8月7日に私は軽井沢に、浅見光彦記念館を訪ねた。フェイスブックで渡辺幸裕さんから勧められて、ルヴァン美術館を急遽訪ねることになった。浅見光彦記念館の近くだった。そこではルコルビジェと西村伊作の作品を展示していた。西村伊作の三男の八知が設立したルヴァン美術館は、文化学院創設当時の雰囲気を再現していた。この美術館で、「若い時、いろいろ知る。読書、経験、思考。年取ると、勉強しないで若い時に得たものを持って考える。若い時、いろいろなことを知るだけでなく、いろいろなことをするのがよい」との西村伊作の言葉を見つけた。

黒川創『きれいな風貌』(新潮社)を読んだが、やはりこの人はつかみどころがない。この本の「あとがき」の冒頭は、「西村伊作は、『ああ言えば、こう言う』のツムジ曲がりで、飽きずに一生を通した人である」とある。 日露戦争時には戦争非協力者であった。また住宅革命の旗手であった。そして1923年には林源十郎が中心人物であって推進した倉敷教会を建てている。

生まれつきの大山林地主の資産家である。7歳の時の濃尾地震で父母を失う。しかし財産には恵まれた。伊作はこの財産を使って、自分にできる「教育」や「芸術」に拠って立ち、この世への働きかけを続けていきたいと考えたのである。美術、建築、陶芸を学ぶ。毎年、所有している全山林の約50分の1を伐採して現金化し、その中から、自分のために使ってもよいとみなした費用の約3分の1を実際に使うようにしていた。

長女の小学校卒業に際し、個性を伸ばす自由な学校を思い立つ。1921年に与謝野晶子夫妻、石井柏亭と一緒に神田駿河台に文化学院をつくる。「国の学校令によらない自由で独創的な学校」という新しい教育を掲げ、「小さくても善いものを」「感性豊かな人間を育てる」などを狙いとした教育が展開された。文化学院は最近まで長い間、自由思想の象徴であり、オシャレの代名詞だった。

文化学院は、外国文学顧問・戸田秋骨、日本文学顧問・与謝野寛、音楽及び舞踏顧問・山田耕作、そして有島生馬(美術)、、、とそうそうたる著名人が関係している。関東大震災で、この学院が壊滅したとき、与謝野晶子が進めていた源氏物語の新訳の完成原稿が灰になった。駆けつけた晶子は「十余年われが書きためし草稿の跡あるべきや学院の灰」と詠んだ。この歌の学院とは、伊作の文化学院だったことを初めて知った。

当時の一流の学者、芸術家たちが親しく教え、職業的な教師によらない高踏的な人間教育がなされ、その結果多くの著名な芸術家、作家、俳優などを輩出した。目についた名前を以下に挙げる。山東昭子。辻原登。大沢在昌。金原ひとみ。杉本苑子。野口富士男。寺尾聡。木村功。前田美波里。水谷八重子。高峰秀子。十朱幸代。飯沢匡。米米CLUBの3人。谷桃子。山口洋子。安井かずみ。梅宮アンナ。志村ふくみ。河原淳。鳥居ユキ。久里洋二。青地震。、、、なるほど、こうしてみると、教育というものの力をまざまざとみる思いがする。文化学院は経営が思わしくなくなり、2018年に閉校している。

西村伊作という不思議な人物について、与謝野晶子は「稀(まれ)に見る多能な人で、画家、建築家、工芸美術家、詩人であると共に、更に熱心な文化生活の研究家である」と語っている。アメリカ滞在中に「お前は何者か、クリスチャンか、ナショナリストかソシアリストか」などと問うと、「自由思想家さ(オンリー・フリー・シンカー)」と答えてやったというと披露している。どんな議論にもついていけたひとだった。本人も「私は当たり前の日本人でない、特別な奇妙な種族に属しているのです」と言っている。和歌山県新宮市に西村伊作記念館がある。

内村鑑三が、事業や思想よりも「金を残す」ことを第一に挙げているのは、このことだったのかと納得した。金の使い道が重要なのだ。学院を始める37歳までいろいろな分野に首を突っ込んだのは、このためだったともいえる。これで西村伊作という人物の焦点が定まった。

若いには読書でいろいろ知り、様々な体験をするのがよい。若い時に得たものをもって、自分で考えよ。それが西村伊作のメッセージだ。そのメッセージを伝える場が、文化学院であり、西村伊作はそこに財産と人生を注ぎ込んだ。100年近くにわたったこの事業に応えた多くの才能が生まれた。教育というもの力を感じる事例である。

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