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「名言との対話」7月5日。南部陽一郎「四六時中考えているからね。一番いいのは寝てるときです」

南部 陽一郎(なんぶ よういちろう、英語: Yoichiro Nambu、1921年1月18日 - 2015年7月5日)は、日系アメリカ人理論物理学者。享年94。

東京生まれ。福井市出身。東京帝大理学部物理学科卒。朝永振一郎と親しく交って推薦されて大阪市立大教授。1952年に渡米し、プリンストン高等研究所に赴任。1958年にシカゴ大教授。1970年にアメリカ国籍を取得し帰化素粒子構造の理論的解明に寄与し,三色クォーク模型などを提唱した。1978年文化勲章。2005年、ベンジャミン・フランクリン・メダル物理学賞。2008年に「素粒子物理学と核物理学における対称性の自発的破れの発見」でノーベル物理学賞を受賞。

中嶋彰『早すぎた男 南部陽一郎物語』(講談社)を読んだ。時代に先駆けて突出した業績をあげた南部が、日本人最年長のノーベル賞受賞者となった遅すぎた栄誉を受ける物語だった。対象論文の発表から50年近くも待たされ続けた、87歳の受賞だったのである。

その原因は、提出した理論が難解だったことと、アイデアを正式な論文の前に示唆したといううわきの甘さが招いたのである。その南部は「湯川さんに惹かれて物理学をやることになった。湯川さんは私の恩人」と語っている。

1960年代の10年間は40代の南部にとって躍進時代であった。「自発的対称性の破れ」「量子色力学」「ひも理論」という3つの画期的な研究成果をあげている。この10年はさまざまな賞が与えられた。すでにアメリア国籍を取得して南部に、異例の文化勲章も授与されている。

南部の天才は、「魔法使い」「宇宙人」「予言者」という呼び方に現れている。人間を越えた存在という見方であった。

南部は90歳を越えてもなお論文を発表している。好奇心と探求心のかたまりのような人物だった。大阪が終の棲家となった。

「四六時中考えているからね。一番いいのは寝てるときです」は、2009年の大阪大学での講演時に、「新しいことを思いつくのはどのようなときか」と問われた時の答えである。夢でアイデアがひらめくと目が覚めるというタイプだった。息子たちは、「寝っ転がっているだけじゃないか」と反発していたという。

南部は言葉ではなく、数式で考える人だった。関連のなさそうな分野の数式を頭の中で、類似性を見つけ切り口を発見する。南部はアナロジー(類似)的手法を好む研究スタイルだった。2013年の大阪大学での国際シンポジウムでは、流体力学を応用して宇宙がテーマで「流体力学の新しい視点」で、出席者を驚かしている。

南部陽一郎は40代の青年期に物理学の画期的な3つの理論を発表する業績をあげ、その後の壮年期、実年期、熟年期を疾走した人である。「物理学をやってよかった」と本人が述懐するように、一筋の生涯であった。

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