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「名言との対話」6月30日。柴田錬三郎「戯作者と自負するものこそ真の文学者だ」

柴田 錬三郎(しばた れんざぶろう、1917年〈大正6年〉3月26日 - 1978年〈昭和53年〉6月30日)は、小説家、ノンフィクション作家、中国文学者。

兵隊時代は日本の敗北を予想し、無意味な死から逃れるべく仮病などに腐心している。南方海洋のバシー海峡で九死に一生を得るという体験もしている。だから実際の戦争を知らないで書く作家たちに批判的だった。

1956年から『週刊新潮』に連載された『眠狂四郎』シリーズで、剣豪小説をのブームを起こす。1965年、『イエスの裔』で直木賞。1969年に『三国志英雄ここにあり』で第4回吉川英治文学賞を受賞。代表作に『眠狂四郎』『御家人斬九郎』『水滸伝』『徳川太平記』など多くがあり、戦国・幕末を扱った作品が多く、剣客ブームを巻き起こした。

高輪の柴田家の秘書をしていた中村勝二『柴田錬三郎私史ー自虐とダンディズムの軌跡』(鵬和出版)を読んだ。若い頃から身近にいた友人でもあったから、エピソードや言葉の錬金術師の言葉がたくさん記されている。

一週間で一篇の読みきりの眠狂四郎シリーズは、文豪ブームをまき起こした。「無明の自我を持てば残虐無道の毒刃となる」という師の教えを選んだ眠り狂四郎の円月殺法により、敵を倒すごとに深まる暗澹たる虚無感を描いた。1万枚から2万枚という原稿量だ。20年間にわたり毎年500枚から1000枚という大著を同じテーマで書き続けたという計算だ。同じような内容を書かないから難行苦行であっただろう。

彼はギャンブラーでもあった。ギャンブルという麻薬と闘うことによって、清新を鍛えた。人生上の一種の修業だとしている。「チャンスがなければ、その人間は世に出ることはない。どの世界でもおなじだね。不条理こそ、この世の鉄則だ」という宿命観の持ち主だ。人生もギャンブルだという人生観だろう。

「大衆との共感のなかで苦悩し、しかも大衆の苦悩を、おのれの苦悩として孤独に徹し、生き切ることだ」という柴田錬三郎のライフワークの一つは山本周五郎だった。「いつか、じっくりと日本の民衆史を掘りおこしてみたい」。「「山本周五郎のもの、プラス俺の文学を書いてみたいと思う。それから、全く世に埋もれている民衆の生活を掘りおこしてみた」。

もう一つのライフワークは中国の国民文学ともいうべき一大長編ロマンだった。「中国文学を完全な日本の文学に、俺の文学に描き変えてみたいことだ。文学のより大きな普遍性への冒険だな」。

いずれも民衆史である。山本周五郎と中国文学、「これが俺の晩年の仕事だ」と語っていたのだが、タフであったダンディスト柴錬は61歳で亡くなってしまう。ライフワークには手をつけられなかったのであろう。

若い時代に文士になると告げた時、母から「お前の嘘つきが、役にたつの」といわれ絶句したという柴錬は、嘘とフィクションこそ文学のエキスであるとし、戯作者と自負するものこそ真の文学者だと喝破した。師は永井荷風と佐藤春夫である。「文士は無頼漢でなければならぬ」。「エンターテイメントこそ文学の核だ」。「志賀直哉が、日本の近代文学に猛毒をばらまいた元凶」、、、。

志賀式リアリズム、社会主義リアリズムなどを柴田錬三郎は信じない。純文学は本物の芸術ではない。まったく面白くない、わくわくするたのしみを与えるエンターテイメントこそ文学の核であるという。それを書くのは戯作者を自覚したものである。柴田錬三郎の小説はまだ読んでいない。読みたい作品が増えていく、、、、。

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