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「名言との対話」8月1日。山本素石「会心の手ごたえは胸の痞えが一気におりるような、集約した官能の放出を覚えさせる妙がある」

山本 素石(やまもと そせき 1919年6月26日 - 1988年8月1日)は、釣り研究者、エッセイスト、宗教家。

各種学校や塾を遍歴して一つも卒業せず、職業も転々として自由業に終始した釣り師である。絵付け職人の傍ら、山釣りと渓魚とツチノコの研究にのめり込み、京都を拠点に北海道北端から九州南端、さらには離島、韓国江原道まで彷徨した。

田辺聖子「すべってころんで」は、大阪の新興団地に住む中年夫婦の悲喜こもごもの日々を描いた作品だ。息子は学生運動、夫はツチノコ探検、妻は感傷旅行。人生の応援歌といえる「中年もの」の代表作で、モデルは素石である。この本は昭和40年代の謎の蛇、ツチノコブームの火付役となった
『山釣り夜話』を読んだ。山村紀行、怪異談、廃村紀行で、民俗学の系譜に連なる書き方だ。夜這いの聞き書き「奥美濃夜話」も面白い。「ねずてん物語序説」「小森谷の一夜」「天狗襲来」、、。柳田国男の書物も出てくる。探検家の今西錦司もでてくる。

川釣りの中でも、最も源流部が舞台であり、最も釣りにくい釣りであり、最も美しくて最もおいしい渓魚であるイワナ、アマゴ、ヤマメを狙う釣りを渓流釣りという。その先達が素石だ。

61歳で書いた『つりかげ』を手に入れた。30代を回顧した自伝である。妻と何人かの女たちとの交歓を自嘲を持って描いている作品であり、その流れを一個の小説のように読んだ。そして、釣りの楽しみはどこにあるのかも語っている。素石は「会心の手ごたえは胸の痞えが一気におりるような、集約した官能の放出を覚えさせる妙がある」と語る。そしてその一瞬の快感を「岩の上を走る道糸の白い目印がツと横に走ったとき、垂れ下がった樹の枝をさけて斜めに竿先を撥ねると、黒い岩の狭間に銀色の魚体がひるがえって、川下の方へ矢のように疾走した。竿が激しく絞り込まれて、張りつめた糸のさきにキラキラと銀鱗が光る。八寸級のヤマメだ。あの黒い岩盤の隙間の、どこにこの白銀の魚体が潜んでいたのか。顎にかかった鉤を外そうとして、ヤマメはさまざまな姿態で反転した。うるしを引いたような黒い岩の上で、銀色に光ったり、白い条を描いたりして狂い回るダイナミックな輪舞を見ると、抜きあげてしまうのが惜しいような気がして、私は竿をたわめたまましばらく目を奪われた」と表現している。

JAL時代にサイパンの海で浜野安宏さんから釣りを教えてもらったことがある。釣り上げた時の感覚を思い出した。そして重量感のある命の輝きをずっしりと感じたこともよみがえった。

渓流釣りの中から、乱造されるダム建設によって荒廃していく川に危機感を持った素石は「いつの日か日本の川という川は、コンクリートと土砂で埋め立てられた巨大な階段に化す時がくるだろう」と警告している。そのとおりになってしまった。

「ここから川が見えるか。川をみたいんや」といううわごとが辞世となった。吉田茂が最後に言った「富士を見たい」を思いだした。山本素石は「釣り登って天に」至ったのであろう。興味深い人だ。詩情あふれる半生を述懐した「つりかげーわが渓わが人生」を注文した。

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