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「名言との対話」1月7日。宇野精一「『平成』は平和な時代だけれども、その平和は実は武器のおかげで、そしてこれまで国のために命を捨てた人々のおかげで保たれているのです」

宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5日 - 2008年〈平成20年〉1月7日)は、日本の儒学者国語学者東京大学名誉教授、尚絅大学名誉学長。國語問題協議會名誉会長、斯文会理事長。日本会議顧問。

宇野は儒教思想を軸とした古代中国経書学研究を進める傍ら、国語国字問題などに関する評論活動でも知られる。GHQの主導で行われた戦後の国語改革に一貫して反対する立場をとり、戦前の漢字・仮名づかいの活用を呼びかけた。「昭和」に代わる新元号の考案を政府から委嘱されていたことで有名な学者である。

敗戦とともに元号制度は風前の灯火となり慣習法上の地位として残っていたが、ようやく1979年(昭和54年)の大平内閣時代に元号法が成立する。この法はたった2条しかない。「元号政令で決める」と「元号皇位の継承があった場合に限りあらためる」である。2条は継承の後に改めるという意味だから、事前に発表することはできないという考えもあり、国民生活の安定とのギリギリの妥協点として4月1日に発表することになったのであろう。

昭和最後の内閣となった竹下内閣ではひそかに 、宇野精一坂本太郎、諸橋徹二、安岡正篤の4人の碩学元号についての検討を依頼しているが、途中で亡くなった人もあり、最終的に、東大の宇野精一名誉教授(中国哲学)、九大の目加田誠名誉教授(中国文学)、東大の山本達郎名誉教授(東洋史)に考案を依頼した。宇野が「正化」、目加田が「修文」、山本が「平成」を第一候補人あげた。「平成」は陽明学者の安岡正篤が考案し政府に提出したが、安岡氏の死後、山本が再提出したという報道がある。平成とは、書経の「地平らかにして天なる 内平らかにして外なる」からとった言葉である。後に竹下登総理が講演の中で「安岡さんの案」として紹介したことがある。しかし政府の担当者は否定している。

論語研究の第一人者である宇野精一は「平成」の意味については以下のように述べている。 「平成の「平」は辞書では「干(かん)」部の漢字です。「干」とは盾(たて)の意味があります。また、「成」は「戈(か)」の部の漢字です。「戈(か)」は鉾(ほこ)の意味です。つまり平成という元号の中には「干戈(かんか)」がある。干戈とは、武器や戦という意味です。「平成」は平和な時代だけれども、その平和は実は武器のおかげで、そしてこれまで国のために命を捨てた人々のおかげで保たれているのです」

元号」は西暦との関係で煩わしいからやめよという意見もあるが、国民全体の考えにはならないだろう。「元号」の決定に参加できるということは滅多にないことだが、97歳まで生きた宇野精一は、最初から最後までこの大イベントにかかわった碩学である。平成を終えようとしている今、「地平らかにして天なる 内平らかにして外なる」時代は、日本は戦争に巻き込まれなかったという意味では、その通りになった。この平和は武器と命を捨てた人々によって成り立つとした宇野精一の解説には考えさせられる。

晩年の2005年には、1989年平成改元における最終候補三案の一つ「正化」の考案者だったことを明らかにした。「戦後の乱れた世を正す時代になって欲しかった」と「正化」を推したと述べている。今年の「名言との対話」は近代編であるが、宇野精一の考えでは、戦後から始まる現代についての評価は低いのだろう。近代に戻れという主張である。

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