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「名言との対話」 7月11日。小松方正「死なない限り、俺は舞台に立つ。役者とはそういうもんなんだ」

「名言との対話」7月11日。小松方正「死なない限り、俺は舞台に立つ。役者とはそういうもんなんだ」
小松 方正(こまつ ほうせい、1926年〈大正15年〉11月4日 - 2003年〈平成15年〉7月11日)は、俳優・声優。
長野県生まれ。中央大学専門部卒。大蔵省勤務時代より演劇に熱中し、俳優を志す。1953年、『真空地帯』に大住軍曹役で出演。1957年『26人の逃亡者』で映画デビュー。以来、個性派俳優として、舞台、テレビなどで活躍した。大島渚の独立プロ「創造社」に参加する。以降大島作品の常連俳優となり、『太陽の墓場』や『絞死刑』、『儀式』などの作品で活躍した。アクの強い悪役・敵役などが中心だが、演技力は幅広く、日本を代表する名脇役だった。大島渚監督との出会いが運命を変えたと自覚していた。1972年、45歳の時に22歳年下の女性と結婚した。仲人は大島渚・小山明子夫妻がつとめている。
脇役として出演するこの人の顔と演技はよく目にした。主役級の役者はなかなか脇役にはなれないだろうから、脇役の方が仕事が多いのではないかと、出演作品のリストをながめながら思った。

1982年から1999年の18年間にわたる大病との凄絶な闘いと、病を通して強くなった夫婦の絆が書かれた『俺は元気は大病人』(第三文明社)を読んだ。亡くなる3年前に書いた本だ。頭蓋骨骨折、糖尿病、慢性腎不全、人工透析、脳梗塞、直腸ガン、大腸ガンの再発、、などまさに病気のデパート状態の後半生だ。闘病生活の中で小松は俳句を覚えた。「尽くす友とも 報わざるとも 百合の花」は、妻への感謝の句である。 「逆境の恩寵」をかみしめながら、一日一日を丁寧に生きていく。

「大事なのは、病気になってからどうするかということだ。、、ひと通り経験したら、今度はそこから這い上がることを考えなければならない」「講演を成功させようとすると、痛みも感じないようになり、神経が仕事の方に向いていく」。病気は死ではない。「天職と思う役者稼業だけを一生懸命やろう。どんな仕事も断らない」。舞台に立つと思うとエネルギーが湧いてくる。それが小松方正の役者魂である。

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