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「名言との対話」 1月23日。太田黒元雄「平凡のうちに非凡を発見する事」

大田黒 元雄(おおたぐろ もとお、1893年1月11日 - 1979年1月23日)は、日本の音楽評論家である。

父・重五郎は芝浦製作所、九州水力発電などの創設にかかわった実業家で二葉亭四迷と親交があった人である。その財力で19歳でロンドンに留学。2年後に第一次世界大戦のため帰国し、楽譜や音楽関係の資料類、ヨーロッパの演奏会事情や芸術の動向などの最新情報を得て、音楽に関する執筆活動に入る。日本に初めてドビュッシィーやストラビンスキーを紹介した。23歳では雑誌「音楽と文学」を創刊し、28歳までは自分の出版社から出版していた。28歳、写真芸術社設立。53歳からはNHKの「話の泉」に起用され人気を集めた。この番組はよく見ていたから私も顔は覚えている。

2018年に荻窪の太田黒公園内にある 太田黒記念館を訪問した。大規模な庭園を擁する2700坪に及ぶ自宅跡地は、今は公園として開放されている。旧太田黒家住宅洋館は、造形の規範となるということで、国の登録有形文化財になっている。立ちの高い瀟洒な外観と特色ある意匠を備えている。音楽評論家・太田黒元雄が住宅の離れとして建てた洋館は氏の仕事部屋であった。愛用のスタンウェイ社製のピアノ、蓄音機などが残されている。ここで「ピアノの夕べ」を開いていた太田黒は47年有余の音楽活動を行った。吉田秀和は随筆集の中で、太田黒を「日本で最初の音楽評論家」と紹介している。

太田黒は22歳から48歳まで毎年のように本を書いており、生涯で76冊の本と32冊の訳書で計100冊を超える執筆量だった。1977年に文化功労者に選ばれたとき、「自分の道楽のためにやったことが表彰されるようになった」と述べている。

太田黒記念館で「平凡のうちに非凡を発見する事」という言葉を見つけた。好きな分野を一直線に歩んだ自由人であったこの人の言葉としては意外な気がした。

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