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名言との対話」7月16日。宮脇昭「本気になればかなりのことができる」

宮脇 昭(みやわき あきら、1928年昭和3年)1月29日 - 2021年令和3年)7月16日は、日本植物生態学者。享年93。

岡山県出身。広島文理大学卒。1961年から横浜国立大学に勤務。講師、助教授を経て、1973年に教授。『植物と人間』で毎日出版文化賞。『日本植生誌』全10巻で朝日賞。

日本は常緑広葉樹を主とする照葉樹林帯である。本来の植生は「鎮守の森」でわかる。海岸部のシイ、タブノキ、内陸のカシが中心だ。スギ、ヒノキ、カラマツ、マツなどの針葉樹林は、材木生産のための人工造林で20年委1回の伐採と3年に1回の下草刈りを続けなければ維持できない。本来の植生は「鎮守の森」でわかる。

土地本来の植生をポット苗で植える方法が成功(宮脇方式)。10年かけて全国の潜在的植生を調査して『日本植生誌』を敢行。マレーシアや中国など海外でも熱帯雨林再生プロジェクト、国内でも「どんぐりドリーム大作戦」などを敢行。宮脇方式は世界10カ国以上で採用されている。

1988年に「知的生産の技術」研究会で講師として熱弁を振るっていただいたことがある。宮脇先生の迫力に圧倒された。テーマは「フィールドワークの方法と技術」だった。その講演録が残っている。

「自分の身体で、足で、生きてきた男です」から始まった。雑草はとればとるほど生える。雑草のほとんどは帰化植物。草をとるのをやめるのが絶滅への道。一番真面目に生きているには移動能力のない植物。競争と共存と我慢。雑草生態学の20年間は誰も相手にしてくれなかった。

年間240-250日は日本列島や世界(当時は39ヵ国)の現地調査。大脳皮質と体全体の五感でぶつかり、最後に体系化することが科学だ。旅館に泊まったことはない。鉄の胃袋。列車の網棚と座席の下で寝る。命をかけるまででなくとも、本気になればかなりのことができる。

この講演は1980年から開始した日本全国の潜在植生調査の大詰めのところだったということになる。旅に出ていないときは、朝9時から夜11時までの時間に『日本植物誌』全10巻6000ページの編集作業に費やしている。300万カ所の調査結果を入力し、潜在自然植生図をつくっていくという途方もない仕事だ。

2006年に井の頭公園の一角にある「三鷹の森 ジブリ美術館」を訪ねた時に、宮脇昭の名前をみたことを思いだした。「縄文中期に農耕があったと主張し「かもしかみち」を書いたた藤森栄一、その藤森説を実証して照葉樹林説を唱えた中尾佐助、「植物と人間」を書いた実践家・宮脇昭、日常生活が統一されていた宮澤賢治、「感じのいい日本人」を書き続けた司馬遼太郎、こういった人々が宮崎駿が影響を受けた先達である。宮崎駿の思想の源だろう」。宮崎ジブリ作品には「植物と人間」を書いた実践家・宮脇昭の影響があることに納得する。

改めて宮脇昭の壮大な仕事ぶりをみると、「人間の社会は、やろうと思って命を懸ければ、まあ命まで懸けなくも本気になれば、かなりのことができるのではないかと思います」という言葉が真実であることを実感する。命を懸けても命までは奪われない。だから命を懸けよう。ということでしょうね、宮脇先生。


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