「名言との対話」6月13日。牛尾治朗「無名有力の時代を経ないで有名になるということは、最も危険なことである」
牛尾治朗(1931年2月12日-2023年6月13日)は日本の実業家。ウシオ電機株式会社創立者。
兵庫県姫路市出身。旧姓第三高等学校経て東京大学法学部を卒業し、東京銀行に入行。カリフォルニア大学バークレー校大学院留学後、実家を受け継ぎ、1964年ウシオ電機を設立した。
1969年日本青年会議所会頭に就任し、規制緩和や株主尊重の路線を打ち出す。
1995年には経済同友会代表幹事に就任。政府関係の役職も多く、政治への影響力も強い経済人であった。マスコミへの登場も多く、経済界の論客であった。
以下、牛尾の発言をピックアップ
-創業時はビジネスの規模が小さくとも、一勝一勝と重ねて10年20年とすると、取引のスケールも大きくなってきます。
-スケールが大きくなったと言う事は、1つの失敗で致命的なダメージを受ける可能性も高くなった、ということである。
-経営者は不況もちろん、減益減配でさえ恐れてはならない。企業には減益になるような時期でなければ、手が打てない、やりにくいしさがいくつもある。
-運というのは、誰にも平等に巡ってきてるんですよ。その運を使うか、逃すかと言う差があるだけですね。
-いつの時代にも優れた人物は必ず出てくるものであり、見所のある人を見出し、育てていくことが上の世代の重要な役割。
牛尾治朗は「無名有力の時代を経ないで有名になるということは、最も危険なことである」という。実力の蓄積がないいうちに突然世に出ることがある。それは危険なことだ。私が学んだNPO知研では、ある講師から「40歳前に本を出していけない」と言われたことがある。「無名有力」の段階に達して初めて世に問えということだ。私40歳で初めての単著を著したが、その後の世間の反響などからみて納得できる。
早咲きは戒めなければならない。無名無力、無名有力、有名有力というように階段をのぼっていく。じっくりと力をを貯えて咲くのがいいというアドバイスである。
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