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「名言との対話」11月20日。内藤ルネ「カワイイ」

内藤 ルネ(ないとう ルネ、1932年11月20日 - 2007年10月24日)は、日本のイラストレーター、デザイナーである。享年74。

愛知県岡崎市生まれ。国民学校卒業後に働き始める。19歳の1951年、画家でイラストレータの著名な中原淳一に呼ばれ、中原の出版社「ひまわり」に入社し、雑誌「ひまわり」「それいゆ」の編集と挿絵を担当する。

フランス映画監督ルネ・クレマンから内藤瑠根をペンネームとし、1960年に内藤ルネと改名する。男性である。内藤はそれまでの憂いを含んだしとやかな少女像から、童顔で幼く元気な少女像へと転換し、大きな影響を与える。

1971年、『ルネパンダ』を発表し、日本ではじめてパンダを描いたアーチストとなる。翌年のパンダブームのさきがけとなった。1971年創刊の同性愛誌『薔薇族』の表紙を14年間にわたり描いている。この雑誌は書店で何か独特の雰囲気を漂わせていた記憶がある。2005年には自身が同性愛者であると告白している。

亡くなった2007年以後も、「内藤ルネ展」は開催されている。特に2013年以降は、毎年のように、全国各地で「内藤ルネ展」が開催されており、その影響力が今なお大きいことを示している。

内藤は多くの分野でさきがけとなったのだが、極め付きは「カワイイ」「Kawaii」の発信を行い、日本のティーンエイジャーだけでなく、世界に向けて日本の「かわいい文化」を定着させたことである。憂いを秘めた伏し目がちでしとやかなな女の子ではなく、大きな目、小顔の元気で明るい、そして愛くるしい女の子像は時代を席巻した。

内藤ルネはあらゆるものに「カワイイ」を認め、「カワイイ」作品を創り出した。パンダ、動物、果物、野菜、花などを「カワイイ」をモチーフに表現した。今では「カワイイ」は、イラスト、ファッション、人形、ファンシーグッズとさまざまな形で具現化されており、現代日本文化の象徴にもなっている。「カワイイ」という文化現象を不思議に思っていたが、その源がこの人だったことがようやく私にもわかった。

内藤ルネは多くの分野に「はじめて」を実行した人だ。キャノチェ(カンカン帽)や短い丈の白手袋、大きなボタン使い、アンティークドールのビスクドール。棄てられていた医療用の戸棚を白く塗って飾り棚にして「白い家具・白い部屋」ブームを創り出すなど高い創造力の持ち主だった。没後10年には、岡崎市では「カワイイに出会える街」というコンセプトで様々企画を実行している。

このような華々しい仕事ぶりであるが、自伝は『内藤ルネ自伝 すべてを失くして 転落のあとに』というタイトルだった。「『ジュニアそれいゆ』からレトロ・ブームまで、少女を夢中にさせたアーティストに、なにが起きたのか!? 昭和少女文化のカリスマが語る愛と激動の人生」との紹介になっている。何があったのか、この自伝を読んで、書き加えることにしよう。

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