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「名言との対話」。4月18日。山本五十六「苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である」

山本 五十六(やまもと いそろく、1884年明治17年)4月4日 - 1943年昭和18年)4月18日)は、日本海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。最終階級元帥海軍大将。前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。

ハワイのアリゾナ記念館には真珠湾攻撃の指揮をとった山本五十六大将と攻撃隊の南雲忠一中将の写真が貼ってあった。ハーバードで学びワシントン駐在経験がある山本はアメリカ人とその戦い方を熟知しており、工業力の底力もし知っていたとある。そして山本は当初は日米開戦に反対であったが、陸軍に牛耳られていた政府の圧力に抗しきれずに、遂に真珠湾奇襲作戦の強力な指導者となったと買った解説書にも書いてあった。山本五十六大将にはやや同情的な書き方だった。

海軍兵学校時代は聖書を座右に置いていた。35歳から2年間のハーバード大学への留学時代にはアメリカの研究に励み、油田や自動車産業、飛行機産業に強い印象を受けた。関東大震災時には「日本人は偉大な民族であり、前より立派に復興する」と周囲を励ました。公私分別、操縦感もよく、適材適所に使い、情義厚く、航空隊内では山本は偉くなるぞと評判であった。41歳駐米大使館付武官。対立した人も「聞き上手で話やすい人。真に度胸のある、正しい素直な人。いつ論じ合っても後味の悪い事がない」と評している。「劣勢比率を押しつけられた帝国海軍としては、優秀なる米国海軍と戦う時、先ず空襲を以て敵に痛烈なる一撃を加え、然る後全軍を挙げて一挙決戦に出ずべきである」。これが後の真珠湾攻撃になる。

2007年に新潟県高岡の山本五十六記念館を訪問した。1884年生まれの山本五十六大将は石油や航空機に注目したように時代の流れを見抜いていた。日独伊三国同盟に「この身滅ぼすべし、この志奪うべからず」と危険を省みず反対した。米内光政海軍大臣山本五十六海軍次官、井上軍務局長と共に1937年の日独伊三国軍事同盟に最後まで反対し、日米開戦にも強硬に反対している。皮肉なことに、開戦にあたっては真珠湾攻撃を指揮する運命を担う。最後はブーゲンビル島で1943年に戦死した。

2022年1月23日のNHKBS1スペシャル「山本五十六と開戦」では、組織の大勢と常に強気の世論、そして自分の信念とに挟撃された山本の苦悩をみた。公人としての立場と、個人の信念が乖離するという「変な」立ち位置に立たされたのだ。

山本五十六緒方竹虎は互いに認め合った仲だった。真珠湾攻撃の後、山本は手紙で敵の寝首をかいたにすぎず、敵は決然たる反撃にでるだろうとし、緒方に「銃後のご指導はよろしく願う」としている。

アメリカは山本五十六をどうとらえているか。

2006年、ハワイのアリゾナ記念館。記念館見学センターを観る。戦艦アリゾナは1941年12月7日の日本軍の真珠湾奇襲攻撃で沈んでいる。オーディオサービスがあり、日本語で館内の掲示物の解説をしてくれる。アリゾナ号模型、攻撃模様などがあるが、この真珠湾攻撃の指揮をとった山本五十六大将と攻撃隊の南雲忠一中将の写真が貼ってあった。ハーバードで学びワシントン駐在経験がある山本はアメリカ人とその戦い方を熟知しており、工業力の底力もし知っていたとある。そして山本は当初は日米開戦に反対であったが、陸軍に牛耳られていた政府の圧力に抗しきれずに、遂に真珠湾奇襲作戦の強力な指導者となったと買った解説書にも書いてあった。

イアン・トール著・村上和久訳『太平洋の試練 (上) 真珠湾からミッドウェイまで』(文春文庫。2013年単行本、2016年文庫版)を読んだ。太平洋戦争を日米海軍の視点から徹底的に分析しており、アメリカの主要紙で大きな話題になった書である。山本五十六についてはデトロイトの自動車工場とテキサスの油田をみていると書かれている。山本はアメリカの国力を知り、国内の強硬派を抑えようとしていた。しかし、ちょうど、2022年2月24日のNHKの山本五十六を扱った番組では、個人としての信念と現実の太平洋艦隊司令長官としての矛盾は「変なものなり」と山本は記していた。山本の正しさは、皮肉なことに日本の敗北によって証明されたことになる。

武田信玄が「為せば成る、為さねば成らぬ。成る業を成らぬと捨つる人の儚さ」という、よく似た歌を詠んでおり、上杉鷹山の「してみせて言って聞かせてさせてみる」を、後の山本五十六は「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。 やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」と変えている。この山本五十六の人間観が、高い人気と強い統率力をもたらしたのだろう。

そして、山本五十六は「苦しいこともあるだろう 言い度いこともあるだろう 不満なこともあるだろう 腹の立つこともあるだろう 泣き度いこともあるだろう これらをじっとこらえてゆくのが 男の修行である」とも語っている。その通りだ。


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