見出し画像

「名言との対話」 5月4日。ヨシップ・ブロズ・チトー「ユーゴスラビアはひとつであり、民族主義的な思想は許さない」

ヨシップ・ブロズ・チトー、(1892年5月7日 - 1980年5月4日)は、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国大統領。

チトーは1953年から1980年の死去にいたるまで四半世紀以上もユーゴスラビアの大統領の地位にあった。「ヨーロッパの火薬庫」といわれたバルカン半島のユーゴスラビアを一つにまとめあげた辣腕の政治指導者である。チトーは、「お前はあっちへ行け」という意味の偽名である。

チトーは市場を重視した社会主義、労働者の自主管理を標榜する社会主義政策をとった。ソ連の衛星国になることを拒否し、米ソ冷戦時には、どちらの陣営にもくみさず、第三世界を束ねた陣営を指導した。国内のやっかいな民族問題については、各民族の自治権を拡大することで紛争を避けることに成功した。また言論の自由も保証し、チトー批判もある程度許していた。長い間、ユーゴスラビアは世界政治の中で一定の存在感があったことは私の記憶にもある。

独自の社会主義路線を歩むチトーに対し、ソ連のスターリンから放たれた刺客を処断し、「こっちからモスクワ刺客を送るぞ」と恫喝し、スターンを沈黙させている。

1980年のチトーの葬儀は国葬となり、東側諸国と西側諸国を問わず数多くの国の首脳たちが集まり、世界最大規模の葬儀となったことで、その影響力がわかる。1989年の日本の昭和天皇の「大喪の礼」はその規模をうわまわった。

カリスマ指導者であったチトーの没後には、引き継ぐ指導者はなく、ユーゴスラビアは、スロベニア、クロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェコビナ、モンテネグロ、セリビア、そして承認する国がまだ少ないコソボの7ヵ国に分裂してしまった。

90年代には、セルビアの自治州のコソボで人口の9割以上を占めるアルバニア系住民の独立運動が勃発した。ギリシャ正教の流れをくむ正教徒のセルビアに対し、アルバニアはイスラム教徒が大半をしめており、宗教戦争の様相をしめした。セルビアによる民族浄化など世界を震撼させた。1999年に紛争は終結したが、火種はまだくすぶっている。

「ユーゴスラビアはひとつであり、民族主義的な思想は許さない」として、「差別や貧富の差の無い世界」を目指し、この難しい地域を四半世紀以上もまとめ、維持したチトーの功績はきわめて大きいものがあった。

21世紀に入って、宗教を背景とした民族問題が浮上してきた。「中華民族」という概念で束ねようとしている中国など多民族国家におけるセンシティブな少数民族問題、中東地域におけるさまざまな民族紛争、、、。言語、宗教、生活習慣、価値観など文化が異なり、自己主張を始めた民族同士の融和は難しい。もはやイデオロギーで束ねることもできない。しばらくはこの状態がつづくだろう。はたしてこの民族紛争という難問を人類は解くことができるだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?