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「名言との対話」7月8日。吉行エイスケ「父の小説を終りまで読んだものは、一作もない」。

吉行 エイスケ(よしゆき えいすけ、本名:栄助、1906年明治39年)5月10日 - 1940年(昭和15年)7月8日)は、日本のダダイスト詩人、小説家。

岡山市出身。岡山中学中退し上京。1923年結婚(吉行あぐり)し岡山に転居。1924年『売恥醜文』を創刊。1926年東京に転居、『虚無思想』を創刊。1929年、『葡萄園』同人。1930年『近代生活』同人。1934年、筆を折り株式を生業とする。1940年、死去。

エイスケは新興芸術派の旗手として活躍したが、この派も、エイスケ自身の評価も高くはない。1997年のNHK連続テレビ小説あぐり」で、野村萬斎がエイスケを演じた。この番組を私も見ていたが、風来坊でときどきあらわれる、憎めない不思議なキャラクターだった。その影響で『吉行エイスケ、作品と世界』、『吉行エイスケ作品集』が刊行されている。

妻・吉行あぐりは、15歳でエイスケと結婚。吉行あぐりの美容師の草分け人生には親しみを持っている。長く現役で107歳まで生きた。2人の夫、長男、次女を見送るということになるのだが、エイスケの作品については「難解でわからなかった」と評している。

長男・吉行淳之介は著名な小説家で、エッセイの名手。持病の宝庫であり、「病気を飼い慣らす」ことを上手に成し遂げ、70歳まで活躍した。エイスケの全集を出したいと提案された時、「私は売れるとは思わない」と答えている。

長女・吉行和子日本アカデミー賞主演女優賞受賞した女優。母について語ったインタビューでは、母がエイスケとチェスをしたことなどを語っている。和子は『どこまで演れば気がすむの』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したエッセイストでもあった。

次女・吉行理恵は詩人として名を成した(田村俊子賞)が、後に小説を書き「芥川賞」を受賞した。兄妹での受賞は最初の例である。66歳で没。

吉行エイスケは妻のあぐりや3人の子供たちに生活上の迷惑をかけたし、長男の淳之介は「父の小説を終りまで読んだものは、一作もない」と評したのだが、エイスケの文才は、子どもたちに受けつがれていることは間違いないと思う。やはりエイスケのDNAの恩恵を受けているのだ。こういう人もいるのである。

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