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「名言との対話」1月14日。シュヴァイツァー「生命への畏敬」
アルベルト・シュヴァイツァー(Albert Schweitzer、1875年1月14日 - 1965年9月4日)は、アルザス人の医師、神学者、哲学者、オルガニスト、音楽学者、博学者。享年90。
シュヴァイツアーの偉さはよく知っていると思っていたが、少年少女のための「伝記 世界を変えた人々」シリーズの『シュヴァイツアー』をじっくり読んで、改めてその偉さに感銘を受けた。
21歳のとき、「30歳になったら人類のために一生をささげよう」と決心する。23歳、オルガンとピアノと哲学を学ぶ。神学で学位。24歳、哲学の博士号。25歳、神学の博士号。こういった順調な人生であるようにみえたが、周囲の人々の反対を押し切って、シュヴァイツアーは、語る人から実行する人になると決心する。
「医学の道は自分がやりたいことをかんぺきに、しかも最良の方法で実行に移すことを可能に」すると、30歳の1905年から7年間、医学の勉強に励む。1904年にはアフリカ行きを決意する。この間、看護婦の訓練をうけたヘレーネと結婚する。
医師となった38歳のシュヴァイツアーは、悪気候と伝染病の蔓延した暗黒大陸アフリカ中部の「ランバレナ」に到着する。後のガボン共和国だ。アフリカ人のために、アフリカの病院を建てた。シヴァイツアーは「ジャングルの神様」と呼ばれる。
1965年にシュヴァイツアーが90歳で亡くなるまでの50年にわたり、シュヴァイツアーと医者たちは、「もだえ苦しむことは、死よりもざんこくなものなのだ」として、150万人以上の黒人の治療し、2万回に近い手術を行っている。
1928年、ゲーテ賞を受賞し、その賞金で建てた家は「シュヴァイツアー博物館」になっている。1931年刊行の『わが生活と思想より』は50万部以上売れている。1947年、アメリカの雑誌「ライフ」は世界一偉大な人物としてとりあげた。
1953年、78歳の時ノーベル平和賞を受賞、その賞金でハンセン病患者のための隔離村を改築する。受賞スピーチでは「人間だけでなく、生命あるものすべてをもかわいがらえねばなりません」「核戦争がれば、、、、ただただ破滅あるのみであると」と述べている。1955年、ニューヨーク・タイムズでは「人類史上、彼に匹敵する業績をのこした人はほとんどいない」と紹介され、神学者、音楽家、学者、哲学者、そして伝道者と紹介された。
シュヴァイツアーは「最大の幸福とは、生命を維持し、それを励まし、その価値を十二分に生かすことにある」と語っている。人々を実際の医療で救うこと、そして勝者のいない核戦争反対を語る人でもあった。シュヴァイツアーは「生命への畏敬」を語り続けた人である。
崇高な生涯を送るシュヴァイツアーの様に生きようと決心した世界各国の青年たちは、アフリカだけでなく、他の貧しい国々へでかけ、人道主義を実践した。日本でもシュバイツアー・ブームが起こった。教科書にも載ったため、私を含め当時の小中学生はみなシュヴァイツアーを知っていた。150万人以上の患者を実際に治療しただけでなく、世界の人々に感銘を与えたシュヴァイツアーの影響力はまことに大きなものがあった。
「有名人であることはわずらわしい」「わたしは静かな土地で生き、はたらく、ただの人間だ」とも語っているが、やはり「世紀の偉人」であることは間違いがない。
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