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「名言との対話」2月19日。野呂栄太郎「名人上手と言われるほどの人びとの言動には、すべての人の心を打つ、教えられるところの多いものがある」

野呂 榮太郎(のろ えいたろう、1900年明治33年〉4月30日 - 1934年昭和9年〉2月19日)は、日本の在野のマルクス経済学者。享年33。

北海道長沼町生まれ。小学校時代に関節炎で片足を切断。旧制北海中学から慶應義塾大学理財科に進む。卒業論文は「日本資本主義発達史」。卒業翌日医学連事件に連座。釈放され、産業労働調査所に勤務する。1930年、日本共産党に入党。卒論が出版される。1933年、療養中ではあったが、中央委員に就任。中央委員長として活動する。検挙され1934年に死去する。

戦前の非合法政党時代の日本共産党の理論的指導者の一人であるとともに、幹部として党を指導するなど実践活動にも関わった。病を得ており、また34歳と若くして亡くなったが、3冊の著作集、上下巻の全集がある。また日本共産党野呂栄太郎賞を1970年に設置し、2005年まで35年間続いた。近代における日本共産党を指導した伝説の革命家である。

野呂栄太郎という名前は、共産主義者として知っていた。羽仁五郎などの本によく出てくる名前。あまりに若い死であったため、志を十分に果たせなかったのだろう。貧乏、不具、病気、獄中生活の中でも名を残していることからすると、相当の人物であったこてとは間違いない。

以下、2つの文章を読んだ。野呂栄太郎の声を聞く。

『進むべき道』(『サラリーマン』1913年1月)

  • 植民地の一開拓者の子として生まれた私は、幼時から、一方では労働の尊さを、そして他方では資本の原始的蓄積のカラクリ、資本主義の制度の不合理をマザマザと見せつけられて育ちました。 後、ブルジョア大学に経済学を学ぶにいたり、ブルジョア経済学のタワイなさと大学教授の無気力、無能力に幻滅を感じた。

  • われらの日常は物質的にも、社会的にも苦しみそのものです。がしかし、この苦しみのうちにこそまたわれわれの楽しみがあるのです、たしかに、われわれは、鎖以外に失う何ものも持たず、そして獲得すべき全世界を持っているのです。

『名人上手に聴く』(『鉄塔』1933年3月号)

  • それぞれ方面は異なっても、その道の名人上手と言われるほどの人びとの言動には、すべての人の心を打つ、教えられるところの多いものがある。

  • 問題の解決、現実の闘争の指導においてまったく無力であるということから、直ちに理論を軽視し、無視して偏狭素朴なるいわゆる実践主義に陥る者の多いことは、私らのしばしば見るところである。

  • マルクスレーニンの学説の公式的適用ほどマルクスレーニンの学説に反したやり方はない。

野呂栄太郎を論じるにあたっては、『名人上手に聴く』から言葉を採ることにした。どのような職業であれ、ひとかどの業績をあげた人の言葉には感銘を受けるものがある。因みに、2022年春の叙勲で名前の出た人たちの言葉を探してみた。

  • 桃井かおり旭日小綬章。71歳。女優)「「体力は落ちたけど、俳優としては、『おばばさん』がやれるからうれしい」「無駄なことをやっている時間はないの。これからの仕事は自分の集大成になる覚悟で、本気でかからないと」。

  • 島田雅彦紫綬褒章。61歳。作家)「晩年のベートーベンのように、形式にとらわれない自由で新しい試みに憧れますね」。

  • 井山裕太紫綬褒章。32歳。囲碁7冠)「囲碁の真理に近づくこと」「まだまだ頂上は見えないし、頂上がどこにあるかもわからない」。

年齢に関わらず、道を極めようとする名人上手たちは小成に甘んじない。次なる歩みを示す気概に心が洗われる思いがする。夭折した野呂栄太郎は、将棋の木村八段がラジオで語った「定石に基づき、その上で変化を試みる」こと、それは定石をさらに発展させて新しい定石を生み出すことが大切だという言葉に感心して、それを自分の研究領域に引き寄せて論陣を張っている。そういう点は、私の同志だという気がする。


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