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「名言との対話」3月17日。 伊馬春部「ふりかへりふりかへり見る坂のうへ吾子はしきりに手をふりてをり」

伊馬 春部(いま はるべ、1908年(明治41年)5月30日 - 1984年(昭和59年)3月17日)は日本の作家、劇作家。

劇作家・放送作家。本名高崎英雄[たかさきひでお]。北九州市八幡生まれ。國學院大學に進み、折口信夫(釈超空)に師事し歌を学ぶ。伊馬鵜平の名で新宿「ムーラン・ルージュ」創立期の座付き作家となる。友人の太宰治から短篇『畜犬談』を捧げられた。

戦後、NHK連続ラジオドラマ「向う三軒両隣り」が好評を博し脚本家として活躍、放送作家の指南番的存在となった。ユーモア小説も手がけた。太宰治を取り上げた『桜桃の記』などのように、作家の評伝風な戯曲もある。

戸板康二は、「純情で篤実でおよそ敵を持ちそうもない」人柄と人物を評した。そして「素朴で生一本な村人、天性のおもむくままに伸び伸びと育った少女、よく笑うおかみさん」への愛情があったとしている。春部は志賀信夫の 『テレビ文化を育てた人びと 作家・文化人・アナなどのパイオニア』( 源流社)でも紹介されている。

1956年、第7回NHK放送文化賞受賞。1961年、『国の東』で芸術祭奨励賞受賞。1965年、『鉄砲祭前夜』にて毎日芸術賞を受賞。

北九州市立香月中学校の校歌の作詞もしている。その解説には熊本県民謡「五木の子守唄」を世に紹介したとある。歴史を振り返り、ダムと石炭という新文明について高らかに歌う詞だ。東筑中学から新制になった、遠賀川のほとりの東筑高校の格調高い校歌は折口信夫の作詞となっているが、実は折口の愛弟子・伊馬春部がつくったものではないかとの推測もあるようだ。

北九州市の八幡西区にある旧長崎街道「木屋瀬宿」には「伊馬春部」の実家があり「旧高崎家」として記念館となっている。ここには春部の遺品をみることができる。太宰治とその師匠・井伏鱒二と写った写真もあるから訪ねよう。春部はこの豪商の5代目だった。太宰は「池水は濁りににごり、藤なみの影もうつらず、雨ふりしきる」という辞世の句を「みんないやしい欲ばかり」と記した書置を添えて伊馬春部宛に机上に残した。

伊馬春部は釈超空(折口信夫)直系の歌人でもあり、1976年には、歌会始召人となっている。「坂」というお題であった。詠進歌は「 ふりかへりふりかへり見る坂のうへ吾子はしきりに手をふりてをり」だ。私は函館や尾道の坂が目に浮かんだ。いい歌だ。

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