「名言との対話」3月1日。原田泰夫「「自在流」(内藤國雄)、「さわやか流」(米長邦雄)、「自然流」(中原誠)、「光速流」(谷川浩司)」
原田 泰夫(はらだ やすお、1923年3月1日 - 2004年7月11日)は、将棋棋士。
10歳のころ、13世名人の関根金次郎の立派な指導対局姿に心を打たれ棋士を志す。14歳で当時異色だった初の大卒棋士・加藤治郎五段(その後名誉九段)に入門。26歳でA級八段に昇りつめた。A級在位は通算10期。優勝3回。38歳から6期にわたり日本将棋連盟会長を務め、1961年の旧将棋会館の建設に尽力している。その後も、請われて2度副会長をつとめている。
「玉損の攻め」といわれるほど攻撃的な棋風で知られ、おだやかな人柄と全く相違しているため驚かれた。「三手の読み」(こうやる、こう来る、そこでこう指す)で知られる解説第一人者としても知られた。
1965年にB級2組に陥落。B級1組を経て、1971年には、14期ぶりに48歳でA級に復帰して、石川達三の同名小説に準え「四十八歳の抵抗」といわれ話題になった。
愛棋家として知られた医事評論家の石垣純二は、原田を一番の贔屓としていた。その理由は以下の四つにあったという。「一つ。自分の利益より、他人や集団の利益を考える数少ない人。同郷の田中角栄に欠けている、長の長たるべき男性。二つ。相手のイス(地位)に絶対負けることがない。たとえ相手がだれであっても、相手を認めて堂々と話す。三つ。他人のいい所をみてよくほめる。若い人を育てるためにしており大きなものにしっぽを振ってはいない。四つ。男一匹、生きていくんだという気概にみちている。腕一本で生きてきた自信と努力が達意の文を書かせ、味のある講演をさせる。温かい、心の広さがある」。
著書に『よくわかる将棋』(東京書店)、『名棋士81傑ちょっといい話』(講談社)など多数がある。1996年の師匠の加藤治郎の死去後、将棋ペンクラブ名誉会長を引き継いだ。俳人・書家でもあり、泰風と号した。
将棋の普及活動に熱心だった原田泰夫は、将棋に関する格言も多く作っており、今日知られる格言の多くは原田によるものである。「桂の高跳び歩の餌食」、「三桂あって詰まぬことなし」、「歩のない将棋は負け将棋」など、将棋においての戒めや教訓の意味合いを短くまとめた格言を多く創作している。
いまなお人口に膾炙している 「自在流」(内藤國雄)、「さわやか流」(米長邦雄)、「自然流」(中原誠)、「光速流」(谷川浩司)などトップ棋士たちの棋風の名付け親でもある。将棋の本質や、棋士の特徴をつかむ能力に秀でていた原田九段は素人の上達に力を貸す名解説や格言の創作などを通じて、将棋の普及に大きな貢献をした人である。
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