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「名言との対話」6月25日。団藤重光「人間の終期は天が決めることで人が決めてはならない」

団藤 重光(だんどう しげみつ、正字体:團藤1913年大正2年)11月8日 - 2012年平成24年)6月25日)は、日本法学者。享年98。

岡山県出身(山口生まれ)。小学校、中学校を飛び級でで卒業し、第六高等学校を経て、東京帝大法学部を首席で卒業した。

東京大学教授1974–83年(昭和49–58年)、最高裁判所判事1981年(昭和56年)。日本学士院会員。1987年(昭和62年)勲一等旭日大綬章。1995年(平成7年)文化勲章

東大教授時代は、師の道義的責任論とその師の性格責任論を止揚して人格責任論を提唱するなど、戦前に新派と旧派に分かれていた刑法理論の止揚を目指し、発展的に解消、継承し、戦後刑法学の学説の基礎を築いた。刑法学の第一人者である。私も法学部だったので、団藤の刑法学を学んでいる。

最高裁判事として強制採尿令状を提唱。大阪空港訴訟では深夜早朝の差し止め却下に対して反対意見を述べている。自白の証拠採否については共犯の自白も本人の自白と解すべきだという反対意見を述べた。学者時代は共謀共同正犯を否定していたが、実務家としては肯定説に立った。

もともとは死刑に賛成の立場であったが、ある裁判の陪席として出した死刑判決に疑念を持ったことから、その後は死刑廃止論者の代表的人物となった。退官後も死刑廃止運動などに関与した。

著書を眺めると、刑法学以外の『反骨のコツ』(朝日新書)が目に入った。典型的なエリート街道を走ってきた団藤は、実は反骨の人であったのだ。1968年に日本エッセイストクラブ賞を受賞するなど文筆家としても有名だった。

最高裁判事時代に死刑判決に対して傍聴席から「人殺しっ!」という罵声が浴びせられた。その声が耳の底に残ったと『死刑廃止論』にある。一、二審査有罪判決に一抹の不安を持っていた団藤は、死刑廃止の気持ちが湧きあがったのだ。

その声を放った人物によると、「無実の人間を死刑にするのか」と理性的に大きな声で発言したそうだ。それが「人殺しっ!」と聞こえたのだろう。それほど、衝撃を受けたのだ。「刑事訴訟法の生みの親」が死刑廃止論者になったのはこれがきっかけだった。因みにこの裁判で死刑判決を受けた死刑囚は、40年近くを獄中で過ごし、病死している。

「死刑の存続は一国の文化水準を占う目安である」とした団藤の『死刑廃止論』には、「人間の終期は天が決めることで人が決めてはならない」と書かれている。

団藤重光は晩年にはイエズス会から洗礼を受けている。洗礼名はトマス・アクィナスだった。『神学大全』で知られる中世・イタリアのスコラ学の代表的神学者をもじった名である。

団藤重光は東大教授時代、最高裁判事時代、退官後、晩年と、考えを変えることに躊躇しないところがある。厳格な面と柔軟な面があったようだ。希代の法学者は最後はクリスチャンとなった。その足跡に興味がわく。


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