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「名言との対話」11月1日。横井時敬「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」

横井 時敬 (よこい ときよし/じけい、 安政 7年 1月7日 ( 1860年 1月29日 ) - 1927年 11月1日 )は、 日本 の 農学者 ・ 農業経済学 者で、 東京帝国大学 教授・ 東京農業大学 初代学長。享年67。

熊本出身。父は吉田松陰(長州)や橋本佐内(福井)と交流のあった横井小楠の高弟で、厳しい教育を受けた。熊本洋学校を経て、駒場農学校農学本科(東大農学部)を首席卒業。福岡農学校教諭となり、1887年には27歳で初の著書『農業小学』を発刊した。31歳の福岡勧業試験場長時代に、種もみの塩水選種法を考案。1890年、井上馨農商務大臣に抜擢され、農商務省農務局第一課長。31歳、『重要作物塩水撰種法』を刊行。34歳で帝国大学農科大学教授。39歳、農学博士。41歳で『農業経済学』、44歳で『農学大全』を著す。

榎本武揚から苦境にあった東京農学校の経営を任され、東京農業大学へと昇格させた。51歳から没する67歳まで学長をつとめた。

横井の農学は、伝統農業の再評価と西洋農法の適用であり、近代農業発展に大きな貢献をした「近代農学の祖」である。後に、『横井博士全集』全10巻が刊行されている。

横井時敬は農業、農学、農学の徒に向けての独自の言葉を多くは放っており、後の世代にも大きな影響を与えている。

「一国の元気は中産階級にあり」「農民たる者は国民の模範的階級たるべきものと心得、武士道の相続性を以って自ら任じ、自重の心掛け肝要のこと」「土に立つ者は倒れず、土に活きる者は飢えず、土を護る者は滅びず」。農民こそが中産階級であり、その農民を激励するこれらの言葉は、農業に従事しようとする若者を励ましたであろう。

現在では6学部23学科を擁する東京農業大学の建学の精神は今も影響を与えている。横井時敬は、学祖となった榎本武揚の期待に応た。

「物質主義に溺れることなく心身共に健全で、いかなる逆境にも挫けない気骨と主体性の持ち主たれ」「紳士たれ」と檄を飛ばしている。そして鍛えた卒業生を出身地に戻す「人物を畑に還す」ことを主眼としている。

「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」という言葉は、横井の代表的名言となって人口に膾炙している。ビジネスマン時代に尊敬する上司に「迷ったら現場に行け」と言われたのと同じ精神だ。また「農学栄えて農業亡ぶ」は、学問の危険性を教えている。経営学者に経営はできないといった野田一夫先生の言葉を思い出した。いずれも「実学主義」としてまとめることができるだろう。

横井時敬は、日本の近代農業の祖であり、また人材育成の東京農大の礎をつくった人である。これらの言葉は、農業の方向と農民のあるべき姿を指し示している。建学以来の卒業生は全国で活躍している。横井時敬は父親仕込みの武士道の精神をもって、近代農業を立ち上げたのである。

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