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「名言との対話」3月28日。内村鑑三「最大遺物とは何であるか。、、人間が後世に遺すことにできる、ソウして誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば「勇ましい高尚なる生涯」であると思います」

内村 鑑三(うちむら かんぞう、1861年3月23日(万延2年2月13日)- 1930年(昭和5年)3月28日)は、日本のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。

札幌農学校入学後、W.S.クラークの感化で受洗。卒業後渡米してアマースト大学などに学ぶ。1891年第一高等中学校講師の職を教育勅語に対する不敬事件のために追われてから、1897年「万朝報」記者となり、「聖書之研究」を主宰。足尾鉱毒事件での社会正義の主張、日露戦争時の非戦論など、信仰と世界的視野に立つ愛国・正義の論陣を張った。キリスト教に関しては、既成教会が典礼・組織・神学に縛られて生命を失っていることを批判して、聖書の研究・講解を中心とする無教会運動を展開、塚本虎二,矢内原忠雄ら各界に活躍する優秀な門弟を多く育てた。(平凡社百科事典マイペディア)

1908年『代表的日本人』を英文で書く。「わが国民の長所を外の世界に知らせる」ために、西郷隆盛上杉鷹山二宮尊徳中江藤樹日蓮の5人をあげていた。後のアメリカ大統領ケネディが尊敬する政治家として上杉鷹山をあげたのはこの書の影響である。また札幌農学校からの親友・新渡戸稲造の英文『武士道』は、日露戦争に際してアメリカのルーズベルト大統領が高く評価していたことで、日露の仲介役を買って出てくれた。

「代表的日本人」という書物には、日本人の名前で訳がついている。原文は英文だったので、後の日本人が日本語に翻訳したものを私たちは読んでいることになる。私が読んだのは岬龍一郎の訳で、1908年の再版版である。この書では代表的日本人として、西郷隆盛上杉鷹山二宮尊徳中江藤樹日蓮を挙げている。彼らを西洋文化の基盤であるキリスト教になぞらえて紹介するという手法をとっているのが特色である。以下、その記述から。

西郷隆盛は、クロムウェル的な人物であり、キリスト教にもっとも近い陽明学の徒であるとし、西郷の革命であった明治維新において、新しい日本を健全な道徳的基盤の上に再構築しようとしたと紹介している。

上杉鷹山は、聖書にある約束された王国がすでに異教の日本において実現されていたとして、「死を恐れぬ勇者」として紹介している。

二宮尊徳は、道徳の力によって経済を復興させるというやり方で多くのプロジェクトを成功させたとし、印旛沼手賀沼干拓をレセップスのスエズ運河の成功とパナマ運河の失敗と比している。

中江藤樹は、仏教を嫌い、朱子学を超え、キリスト教に近い陽明学んに辿りついた。孔子の進歩性の部分を受け継いだ陽明学を信奉した近江聖人として紹介している。

日蓮は、ルターの宗教改革が聖書のみに基づいていたと同様に、仏教のあらゆる宗派を学んだ後に、仏陀の最晩年の教えである華厳経法華経)を最高の経典であるとし、国をあげて信奉するという戦いをモハメットのごとくすすめたとしている。日蓮宗は純粋な日本の唯一の仏教である。

内村鑑三は、キリスト教の聖人や殉教者になぞらえて日本の伝統である武士道を体現した人物を紹介しながら、西欧の人々の日本理解を推進しようとしたのであるが、百年後に生きる日本人に向けての強いメッセージにもなっている。

「代表的日本人」という言葉は刺激的である。「何人にも遺すことのできる本当の最大遺物は何であるか、それは勇ましい高尚なる生涯である」(デンマルク国の話)という内村のメッセージは重い。高尚なる生涯を送ったより多くの代表的日本人を現代の日本人に向けて紹介することは崇高なる仕事である。

「父母に棄てられたる子は、家を支える柱石となり、国人に棄てられたる民は、国を救う愛国者となり、教会に棄てられたる信者は、信仰復活の動力となる」

NHKテレビ「こころの時代」テキストの「道をひらく 内村鑑三のことば」(鈴木範久)を購入し、読んだ。内村鑑三の言葉はいい。

・私には昔から日記をつける習慣がありました。その日記に、私は、自分に臨んだ考えや出来事を、なんでも書きつけてきました。私は、自分自身を注意深い観察の材料にしました。、、そのことは、どんな勉強にもまして、とても興味深いものであることが、わかったのです。
・天職を発見するの法は今日目前の義務を忠実に守ることであります。、、要するに天職は之に従事するまでは発見することの出来るものではありません。予め天職を見付け置いて然る後に之に従事せんと思ふ人は終生、其天職に入ることの出来ない人であります。
・人よ、汝は汝の天職を知るを得るなり、汝は容易に之を発見するを得るべし。汝の全力を注ぎて汝が今日従事しつつある仕事に当たるべし、然らば遠からずして汝は汝の天職に到達するを得べし、汝の天職は天よりの声ありて汝に示されず、汝は又思考を凝らして之を発見する能はず、汝の天職は汝が今日従事しつつある職業に由って汝に示さるるなり、汝は今や汝の天職に達せんとして其途中に在るなり、何ぞ勇気を鼓舞して進まざる、何ぞだ想に耽りて天職発見の時期を遅滞せしむるや。(「天職発見の途」全集20)

・真の寛大とは、私が思うに、自分自身の信仰にゆるぎない確信を持ちつつも、あらゆる誠実な信仰に対しては、それを許容し認めることであります。自分が、ある(some)真理を知りうることを信じ、あらゆる(all)真理を知りうることを信じないのが、真のキリスト教的寛大の基礎であります。それが、全人類と、友好と平和的関係を持つことの源泉であります。(「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」)
・真理は円形に非ず楕円形である。一個の中心の周囲に画かるべき者に非ずして二個の中心の周囲に画かるべきである。(「楕円形の話」)
・完全なる信仰は円形ではない、楕円形である。自と他との二点を中心として画かれたるものである。自己を中心と為さなければならない、然し自己のみでは足りない、他をも亦中心と為さなければならない、キリスト教に由て救われし事故が同情的に世界的に拡大して我は始めてキリストのすくいを実得することができるのである。(「人類のすくい」全集19)

・教育は校舎に非ず、教育機関の完備に非ず、有資格教員の網羅に非ず、一人の教師が一人の生徒と信頼を以て相対する所に行はる。(「回顧30年」全集32)
・悪人が之に遭遇すれば天災は確かに天罰である、、、義人が之に遭遇すれば天災は天罰ではなくして試練である。(「天災と刑罰」全集14)
・国を救ふの道は民を救ふに存す。而して民を救ふの道は其一人づつを救ふにあり。(「国を救ふの道」)

・元来目的の小さい者は早く老衰するのだよ。(「文久生れの感」)

・恃むべからざる者は平和の時の平和論である。斯かる者は戦争の時には又戦争を唱ふる者である。(「平和時の平和論」全集18)

2016年に石の教会・内村鑑三記念堂資料展示室を訪問した。2005年以来の二度目の訪問だ。「善遊善学」という書が掲げてあった。「成功の秘訣」(六十六歳翁 内村鑑三)は、星野温泉若主人の為著す。若主人は1905年生まれの星野嘉助。星野リゾートの星野社長の先祖だろう。「自己に頼るべし。本を固うすべし。急ぐべからず、、」「誠実に因りて得たる信用は最大の財産なりと知るべし」「人生の目的は金銭を得るに非ず、、、品性を完成するにあり」

誠実に生きた内村鑑三の言葉は、多くの人に感銘を与えている。

「少しなりともこの世の中を善くして往きたいです。この世の中にわれわれのMementoを遺して逝きたい。」

「私はまだ一つ遺すものを持っています。何であるかというと、私の思想です。、、、私は青年を薫陶して私の思想を若い人に注いで、そうしてその人をして私の事業をなさしめることができる。、、著述をするということと学生を教えるということであります。」

「、、来年またふたたびどこかでお目にかかるときまでには少なくとも幾何の遺物を貯えておきたい。、、、この心掛けをもってわれわれが毎年毎日進みましたならば、われわれの生涯はけっして五十年や六十年の生涯にはあらずして、実に水の辺に植えたる樹にようなもので、だんだんと芽を萌き枝を生じてゆくものであると思います。」

「アノ人はこの世に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います。」

以上の言葉は、内村鑑三『後世への最大遺物』(岩波文庫)にあるものだ。箱根のキリスト教夏季学校での講話である。人は生涯において何を遺すべきか。金か、事業か、人か、さもなくば高尚なる人生を、と内村は言う。生き方の指針として心を打つ。

この「名言との対話」で、内村の名前が出てくることが多く、その影響力の大きさに改めて驚いている。その中で、今回は「勇ましい高尚なる生涯」を採った。この言葉は、そのまま内村鑑三の生涯に当てはまる。

北海道大学で活躍した植物学者・宮部金吾とは札幌農学校で4年間同室であり、終生にわたって手紙のやり取りがあった。内村から宮部への手紙は225通にのぼる。内村の70歳での逝去にあたって、宮部は「内村君の如き我同窓会中の一大偉人」とし、「特に内村・新渡戸稲造両君と私の三人は、最も親密の交際を致しました。斯くして札幌に於ける学生生活中、三人は始終行動を共にしました」と偲んでいる。三人ともプロテスタント集団である札幌バンドの一員だった。こういう新渡戸稲造、宮部金吾との生涯にわたる交友にも心惹かれる。

内村、新渡戸、宮部の3人はそれぞれの分野で、日本近代を牽引した。中でも内村の思想は同時代、後の時代に大きな影響を与えている。私も影響を受けている一人だ。内村鑑三本人の生涯をもっと掘り下げて、学びたいと思う。

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