「名言との対話」12月4日。古賀忠道「弱いものを かわいがる心を育てたい」
古賀 忠道(こが ただみち、もしくは、こが ちゅうどう、1903年12月4日 - 1986年4月25日)は上野動物園初代園長。
佐賀県出身。1928年、東京帝国大学農学部獣医学科を卒業。東京市公園課に就職し、1882年に開園した上野恩賜公園動物園に勤務した。1937年、クロヒョウ事件をきっかけに動物園長職ができ初代園長に就任。
動物園は一種の教育だとの信念があった古賀園長は、1946年に映画館「かもしか座」の開設、1948年には子供動物園を開園、おサル電車の開通などを実行した。
1949年、インドのネルー首相よりアジアゾウの「インディラ」が贈られて、大ブームとなる。翌年の1950年には列車でインディラを運び、日本各地の動物園で披露する移動物園を実施している。アイデアの豊富な名物園長であった。1962年、上野動物園創立80周年記念祭を最後に退職した。
退職後は、財団法人東京動物園協会理事長に就任。国際自然保護連合(IUCN)日本委員会の委員長、世界野生生物基金(WWF)日本委員会の設立に尽力した。
古賀忠道生誕100年の2003年には、記念展示が行われ、写真、解説パネル、記録フィルムが上映された。古賀忠道は、「ZOO IS THE PEACE」とも語っていた。世界で内乱や紛争があると、動物も悲惨な状況に陥る。上野動物園でクロヒョウ脱走事件(阿部定事件、ニ・ニ六事件と並ぶ11年の三大事件)もあり、日本でも第二次大戦中は、飼育動物を殺害している。平和を願う動物園人の願いをこの言葉に込めたのである。動物園は平和施設という考えでもあった。
NHK「あの人に会いたい」の映像をみた。狭く日当たりの悪い環境の改良を行っている。ノイローゼになる猿が多かったこともあり、野生の環境をサル山という形で実現し、野生展示という新しい方法を開発している。
古賀によれば、動物園は一種の教育施設だ。アメリカ・ワシントンの膨大な博物館群や上野の博物館、美術館などは、国民教育の文化施設だと感じていたが、動物園もとくに子どもの教育に大きな影響のある施設なのだ。古賀は「やさしい心」を育てようと、子どものための施設の改良やイベントを開発したのである。
移動動物園では、静岡、甲府、新潟、青森、札幌など、インディラらを連れて3500キロの旅をし、日本各地の動物園で子どもたちに親しませている。
「園長さん」として親しまれ、上野動物園を世界有数の動物園に押し上げた古賀忠道は、子どもの「弱いものをかわいがる心を育てたい」と映像の中で語っている。
私の動物園経験をふり返ると、子どもの頃に行った以外は、子どもが生まれてからはよこはま動物園ズーラシア、孫が生まれてからは多摩動物公園に通っている。そういえば、上野動物園には入ったことがないことに気がついた。古賀忠道が精魂を傾けた動物園をみることにしよう。
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