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「名言との対話」8月8日。岩井半四郎「女が強いのは家風だ」

十代目 岩井半四郎(じゅうだいめ いわい はんしろう、1927年8月8日 - 2011年12月25日)は、俳優、歌舞伎役者、日本舞踊家。

岩井 半四郎(いわい はんしろう)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は大和屋。初代から三代目までが上方歌舞伎で活躍する立役、その後は後期江戸歌舞伎から明治歌舞伎においては女形を代表する大看板の一つとなった。ここで取り上げるには、その十代目である。

国立劇場の幹部だった織田紘二は「人脈の豊かさは尋常でなく、付き合いは政界、経済界、スポーツ界から夜の社交界に及び、日本舞踊岩井流の家元としても多岐に渡っていた。俳優としても諸々の役に才能を発揮していたものの、これはという当たり役がないかわり、どんな役でもこなせる器用な人だった。、、他人の蔭口を耳にしたこともなかった。楽屋句会の有力メンバーで常に入賞していた印象がある。役の幅も人間の幅も広く豊かな人だった。そして知る限り「いい男だった」としのんでいる。

長女の岩井友見が書いた『花吹雪 岩井半四郎一家』(扶桑社。プロデュースは残間理江子)を読んだ。父・半四郎の人柄がよくわかる本となっている。名門に生まれたが、少年時代は落語家になるのが夢であった。歌舞伎の天才子役としてデビューすることになる。歌舞伎役者では珍しく大学卒(明治大学文芸科)だ。書道の先生になれそうなうまい字を書く。カメラは二科展に入選するほどの腕前、俳句も大したもの、デパート歩きが大好きで新しい情報をよく知っている。「女が強いのは家風だ」と言っていた。

次女の章子は女優の仁科明子だ。後に松方弘樹と大騒動のうえに結婚する。この女優は私もファンだったから、よく覚えている。

岩井半四郎は役者としても器用な人で、映画、テレビでも、主役から脇役までなんでもこなしている。私もよく知っている。こうやってみると、戒名の圓覚院慈雲良周居士には納得がいく。「悟りを開いた優しい方」という意味である。なるほど人柄にふさわしい戒名だ。戒名とは仏弟子になるということだ。これを機会に誰がどういう戒名をもらったかを探ってみたい。

福沢諭吉は自分でつけた「大観院独立自尊居士」。土方歳三「歳進院殿誠山義豊大居士」。御木本幸吉「真寿院殿玉誉幸道無二大居士」。谷啓「玄妙院殿谷啓日雄大居士」。山田風太郎は生前に自らつけた「風々院風々風々居士」。荻昌弘「光映院明徳日弘居士」。金子哲雄「慈雲院殿應救哲心居士」。 橋本 武「教誉愛宝青蛙居士。淡島千景。「華優院慈篤慶純大姉」。立川談志は生前に自分でつけた「立川雲黒斎元勝手居士」。福田恒存「実相院恆存日信居士」。日高敏隆「蝶道院釋真隆」。はらたいら「曼照院智徳道晃居士」。宮脇 俊三「鉄道院周遊俊妙居士」。種村直樹「鉄道院周遊俊妙居士」。中村元「自誓院向学創元居士」。 上甲正典「弄球院正岳秀典居士」。河上肇「天心院精進日肇居士」。徳富蘇峰は生前自ら定めた「百敗院泡沫頑蘇居士」。夏目漱石「文献院古道漱石居士」。宮崎滔天「一幻大〇生居士」。小栗上野介「陽壽院殿法岳浄性居士」。近親者では、義父は「徳風院慈温英俊居士」。義母は「寿照院慈室静眼大姉」。父は「照山道順居士」。

今年亡くなった母の戒名は、菩提寺の宝蔵寺の住職と相談してつけた「明香院啓歌慈風大姉」である。人生の総括と人柄をあらわす戒名に興味を持った。福沢諭吉や徳富蘇峰、山田風太郎、立川談志のように、生前に自分でつける人ももいることがわかった。


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