「名言との対話」11月15日。堀淳一「地図さえ持っていれば、どんな道の土地でも、自由に歩き回ることができ、思うところへ行くことができる」

堀 淳一(ほり じゅんいち、1926年〈大正15年〉10月6日 - 2017年〈平成29年〉11月15日)は、日本の物理学者、随筆家。北海道大学教授。専門は理論物理学。

京都府生まれ。父は物理学者で北海道帝国大学教授の堀健夫で、父の北大着任に伴い、1935年から北海道札幌市に在住。札幌一中を経て、北海道大学理学部卒業。同低温科学研究所、理学部助教授を経て、北大教授に就任。

専門は数理物理学と固体物理学で、「レモンティとモーツァルトで一日が始まる」という生活は良き時代の教養人を偲ばせる人柄だった。

小学校の頃から地図の魅力に魅せられ、1960年代から地形図を手に全国の旧道、廃線跡、産業遺跡(産業遺産・遺構・廃墟)などを歩く旅を開始する。1972年『地図のたのしみ』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。 地図と旅の愛好者の集まりコンターサークルsを主宰する。『ブラタモリ』などに代表される地図散策趣味の先駆者といえる紀行作家であり、晩年まで各地を精力的に歩き続けた。

『地図の楽しみ』(河出書房新書)は、私も発刊当時手にしたことがある。今回改めて再読した。小学生時代に「関西で地理の教師をしていた叔父」から旧制中学の社会科の地図帳をもらったことが地図に本格的にのめり込むきかっけとなった。その叔父とは、朝永陽二郎と記している。「あとがき」に、本書の胚子を少年の私の中にはぐくんでこれた叔父に、この本を捧げたいとあるもしやと思って調べてみると、『回想の朝永振一郎』の中に、この名前の人が「少年のころの兄の思い出の断片——その環境を中心に」というエッセイを書いているのを見つけた。ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎の弟だったのだ。

、電車の路線図から始まる地図を友とする生活。鉄道案内図、地形図、迅速図、、、、、。地名の不思議の項では、後志(しりべし)、未明(ほのか)、雪車町(そりまち)、十八女(さかり)、雪洞(ぼんぼり)、、などを挙げ、町村合併で平凡な名前になっていくのを嘆いている。知っているところは20万分の一、初めて歩くところは5万分の一か2万5千分の一の地形図を持っていくのが習慣だった。札幌は変化の著しい町の一つで、市街の北の果てにあった農科大学であった北大は市街に取り囲まれていると書いている。

年季の入った地図をともにした旅で得た知識がちりばめられていて、読んでいて楽しい本になっている。一人の市民、地図愛好者、使用者として、つねづね考えたり感じたりしていることをまとめたものであるというが、そのフィールドワークから得た知識の厚みは尋常ではない。

写真を撮った場所、経路を図上に記すと正確な記録となる。余白にメモや感想を記しておく。鉄道線を通った日付、列車番号を書き込んでおく。帰ってから見聞を反芻し、記録を補足して、旅は一区切りになる。そういう旅をしたのだ。日本各地はもとより、長く滞在したイギリスの地図事情も詳しい。時代や国柄で違う地図に触れながら、歴史や文化を探るユニークな文化論である。

「地図と鉄道のブログ」という同好の士のブログに、2017年12月4日に「堀淳一氏を偲ぶ」というエッセイがあった。堀は11月15日に亡くなったからその直後に書かれたものだ。そこには11月初旬に北海道で会ったばかりとある。「御年91歳だが、頭脳は常に明晰で、収集した膨大な数の地図を肴に、四方山話はいつまでも尽きなかった」との記述からは、34歳から20年近く経った1980年の55歳での北大退官後も37年間にわたり地図の旅を楽しんだことがわかる。10歳あたりから91歳で亡くなる直前まで地図を友とした旅をしていたことに感銘を受ける。まさにこれがライフワークというべものだろう。かくありたいものだ。

『地図の楽しみ』には、地形図一枚の値段はコーヒー一杯の値段と大体同じと書いてある。今はどうなのだろうか、地図を一枚買ってみよう。

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