「名言との対話」5月19日。上岡龍太郎「僕の芸は20世紀まで」

上岡 龍太郎(かみおか りゅうたろう、1942年昭和17年〉3月20日- 2023年令和5年〉5月19日)は、日本漫才師司会者タレント。享年81。

京都市出身。主に関西で活躍したお笑い芸人で、番組の司会者としても人気が高かった。流ちょうな話術と博覧強記で理路整然と語る。独特のユーモア、鋭い洞察、切れ味のいい毒舌、社会的風刺が含まれておりファンが多かった。

話の入り口には、和歌、俳句、ことざわなどを使う講談調の滑らかで知的な雰囲気を感じさせる話術だった。やしきたなじんとともに大阪を代表するタレントであった。そのため、この二人の名前は知ってはいたが、その芸は身近に感じてはいなかった。

上岡龍太郎は「芸能生活40周年を迎える2000年の春になったら完全に隠居する」と宣言していたとおりの行動をとった。まだ58歳だった。

「僕の芸は20世紀まで」とタレント自身がいうのは珍しい。40年もの間、浮き沈みの激しい芸能界を見事に泳ぎ、スターの地位まで昇りつめた。その間、時代の変遷や社会の変化に対応しながら、大衆の笑いを生み続けた人だ。

長い間、自分を励まし、芸を磨いてきて、これ以上の自己刷新は無理だと判断したのだろう。

現在も大御所として活躍しているコメディアン、俳優、映画監督の道を歩んだ「たけし」、最近は「ブラタモリ」で圧倒的な才能示した「タモリ」、落語を究めるだけでなく、日本全国を歩きまわり人気の人柄が知れ渡った「鶴瓶」などを眺めると、彼らの歴史は、自己革新の連続だったように感じる。いつの間にか、新しい分野に移動していき結果的に幅の広い、そして奥の深い領域にたどり着いている。彼らは学び人である。

上岡龍太郎の場合は、その過酷な成長のサイクルを、人気の低迷という事実を突きつけられてからではなく、また病気のよる断念でもなく、自らの意志で断っている。その「出処進退」の哲学とそれを実践することができたこの人に私は興味を覚える。

引退後の生活をさぐると、ほとんど公式の場には登場せずに、定年後の隠居生活で静かな暮らしを楽しんでいたようだ。

最後の最後まで「芸」にこだわって、それを讃える報道もよくありそれも感動を誘う。一方で上岡龍太郎のスッキリした出処進退の美学にも感銘を受ける。青年期を疾走し、壮年期の途中で引退し、実年期を楽しんだ。人生100年時代の生き方の一つのモデルにあげておこう。


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