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「名言との対話」3月17日。内田裕也「ロックンロール」



内田 裕也(うちだ ゆうや、1939年昭和14年〉11月17日 - 2019年平成31年〉3月17日)は、日本ミュージシャン俳優。享年79。

兵庫県西宮出身。プレスリーに憧れて、音楽活動に入っていく。佐川満男中村泰士かまやつひろし寺内タケシらと交流する。

1960年に日劇ウェスタンカーニバル」でデビュー。フラワー・トラベリン・バンドなどを結成。1960年代中ごろからロック色を強めていく。そしてロックコンサートやイベントをプロデュースしていく。

1973年、初のソロアルバムを発表。悠木千帆(後の樹木希林)と結婚。1974年に第1回ワールドロック・フェスティナルを主催。

1970年代後半からは映画俳優として活躍する。俳優としては「赤目四十八瀧心中未遂」などに出演。映画製作も手がけ、「十階のモスキート」「コミック雑誌なんかいらない」などで映画賞を受賞した。

内田裕也にはヒット曲はないが、イベントプロデューサーとしての才能もあったようで、「打倒! NHK紅白歌合戦」をテーマに、1973年12月から年越しロックコンサートを開催した。このイベントは、亡くなる2019年まで毎年開催された。2004年からは、中国の北京、」上海、韓国のソウル、アメリカのニューヨーク威、カナダのトロント、イギリスのロンドン、台湾の台北、ロシ派のモスクワと開催国が拡大していった。2007年からは、ニューイヤーズワールドロックフェスティバルという名称となった。5ヵ国6都市での同時開催もある。国内でも2都市同時開催で、東京と石巻、福島でも開催。内田裕也の広い交友で、多くのアーチストが集まるイベントとなった。

「ロックのドン」と称されている内田は公私ともに常に問題を起こしたという印象がある。妻の樹木希林との離婚騒動、ドラッグの使用、島田陽子との不倫、東京都知事選への出馬、、、、、。。

内田より半年早くこの世から去った妻で名優の樹木希林が、自分と内田は互いに中毒なんです、という言葉を聞いたことがある。

口癖は「ロックンロール」だったように、破天荒なロック的生き方を貫いた生涯だった。冒頭に掲げた1963年の20代前半の写真と、70代の写真を掲載してみて、その違いに驚いた。これほど変わる人も珍しい。ロック的生き方があらわれているのだろう。



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