「名言との対話」8月17日。後藤静香「『われこれがために生まれたり』 はっきりと そう言いうるものを つかんだか」
後藤 静香(ごとう せいこう、1884年8月17日 - 1971年5月15日)は、社会教育家、社会運動家である。
大分県竹田市出身。旧制竹田高校を卒業し、代用教員を経て、東京高等師範数学科d学ぶ。卒業後、大分や長崎、香川で13年間女子教育にあたる。女子教育によって家庭を改善し、家庭の改善によって地方を改良していくことができる、これが信念だった。
教員時代に蓮沼門三らの「修養団」に傾倒した。1918年には修養雑誌『希望』を創刊、「希望社」を設立、本格的に社会教育の分野に進出する。いくつかの啓蒙雑誌を敢行する。内容は、偉人伝、格言など提示と解説で、それによって修養意識を高め、社会を改良しようとした。代表作の『権威』は、全国の教育者、労働者、青少年に詠まれ、ミリオンセラーとなっている。
理論に加え、希望社運動は広範な実践的な社会活動を行っている。点字の普及、救ハンセン運動、国民常食改善、ローマ字運動、エスペラント運動、老人福祉、アイヌ救済、現代仮名遣いの普及などである。
関東大震災いおいても一大救護活動を展開している。救護本部設置、『希望者震災時報』の発行、食糧などを原価の5分の1で頒布、掃除や衛生の風潮に気を配る、大量のふとんをつくるなど。
『権威』には後藤静香の詩が掲載されている。
「本気ですれば たいていの事はできる 本気ですれば なんでも面白い 本気でしているとたれかが助けてくれる 人間を幸福にするために 本気ではたらいているものは みんな幸福で みんらえらい」。
「十里の旅の第一歩 百里の旅の第一歩 同じ一歩でも覚悟が違う 三笠山に登る第一歩 富士山に登る第一歩 同じ一歩でも覚悟が違う どこまで行くつもりか どこまで登るつもりか 目標がその日その日を支配する」
「なんでもいい。善と信じたことを、ただ一つでも続けてみよ。何が続いているか。三年、五年、十年続いたことが幾つあるか。一事を貫きうる力が、万事を貫く。」
「もっと落ついて考えよ あまりそわそわしすぎる 太陽をみよ 月をみよ
星をみよ 花をみよ お前のように浮き浮きしている者が どこにある せめて一時間でも、じっとしておれ ただ一つのことでも 本気に考えてみよ」
群馬県高崎市の榛名町に後藤静香記念館がある。ここでは、月刊誌21種、著書70冊などが保存、展示されている。
後藤静香の言葉を眺めていると、大正から昭和の初期にかけての青年・教育者・労働者が心酔したのがよくわかる気がする。現代でもスポーツ選手にファンが多いと聞く。後藤の問いかけには、気持ちを揺さぶるものがある。「どこまで行くつもりか」「続いたことが幾つあるか」「本気に考えてみよ」、、。
「たしかに生まれた 必要だからだ たしかに生きている まだ用事があるからだ 『われこれがために生まれたり』 はっきりと そう言いうるものを つかんだか」もいい。「われこれがために生まれたり」といえる人生をめざそうという言葉は、多くの人に影響を与えただろう。
現在と未来の日本人のために、「修養」という考え方の復活と、実践が必要な時代になっていると思う。
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