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「名言との対話」3月14日。吉本せい「笑わせなあきまへんで」

吉本 せい(よしもと せい、1889年12月5日 - 1950年3月14日)は、吉本興業創業者、芸能プロモーター

明石家さんまダウンタウンなど、人気芸人の宝庫ともいうべき吉本興業。日本の「お笑い界」を席巻する吉本興業の創業者が吉本せいである。山崎豊子の小説『花のれん』(1958年)のモデルである。芸術座で、菊田一夫の演出で同名の公演が行われた。1978年には「おもろい女」という題名で芸術座公演が行われるど、その後も劇場で吉本せいの人生を主題とした舞台がつづいている。

吉本せいは20歳で老舗荒物問屋「箸吉」の息子と吉本吉兵衛と結婚。22歳、「第二文芸館」を買収し寄席の経営を始める。変化する入場料、物販のアイデア。機転と気配りの天才。複数の寄席を「花月」と改名。寄席以外にも、ものまね、義太夫、娘義太夫剣舞、曲芸も興業に加えていく。客を呼べる看板芸人にはサラリーマンの10倍以上の破格のギャラを出す。吉本せいは、優れた起業家であった。1948年、吉本興業合名会社から「吉本興業株式会社」に改組し会長。1950年、死去。

落語に比べ歴史は古いが地位の低かった万歳に目をつけ、エンタツアチャコのインテリ万歳で成功をおさめる。万歳を新しい名前「漫才」に変えて芸能の世界を変えていく。ラジオ時代に乗って客をどんどん増やしていく。ついにせいは「女今太閤」「女版小林一三」と呼ばれるまでになる。吉本せいは、大実業家となっていく。

「心許すときはしっかりその人を観なはれ。時代を先取りして、誰の意見でも有り難く聴くことです。実行する、せんはこちらが決めればよろしい。失敗は何にでもつきもんです。恐れてては何もできまへん」

吉本せいをモデルにした2017年10月から始まったNHK朝ドラ「わろてんか」でその人生ドラマを楽しんだ。語りはNHK の小野文枝アナウンサー。京都編、大阪編船場編、笑売編、女興行師編と続くドラマである。平均視聴率は20.1%。

吉本興業の使命は大衆を「笑わせる」ことだった。人を観る。時代を先取りする。意見をよく聞く。そしていいと思ったものは失敗を恐れず断固実行する。お笑いに人生を賭けた女大将は、「笑わせなあきまへんで」と常に言いながらお笑いの集団を組織していった。

私もファンの「ピース」の又吉直樹の活躍など、今をときめく吉本興業は、現在では社員数868名、所属タレントは約6000名をかかえる企業に発展している。劇場運営だけでなく、テレビ・ラジオ、ビデオ、CM、その他映像ソフトの企画、制作、販売。イベント、広告、不動産、ショービジネスなど手広く活動をしている。創業は1912年だから、立派な100年企業だ。因みに「スクール」部門では、吉本総合芸能学院、よしもとアカデミー、よしもとデジタテイメントアカデミー、吉本興業高等学院、沖縄ラグ&ピース専門学校、沖縄ラフ&ピース専門学校高等課程などを擁している。BSよしもと、住みます芸人などの地方創生、アジア、中国、アメリカなどのグローバル展開、最年少三冠王の村上などのスポーツ関係者も一員だ。ヨシモトブックスで芸人の出版活動も支援している。

吉本せいの「笑わせなあきまへんで」という創業の精神は、100年以上たって大きく花開いているといえるだろう。人材の宝庫となった吉本興業の将来が楽しみだ。

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