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「名言との対話」5月19日。ポル・ポト「僕は将来、革命組織を指揮する」

「名言との対話」5月19日。ポルポト「僕は将来、革命組織を指揮する」
ポル・ポト(クメール語: ប៉ុល ពត, ラテン文字転写: Pol Pot、1928年5月19日 - 1998年4月15日)は、カンボジアの政治家。
山田寛『ポル・ポト「革命」史 虐殺と破壊の四年間』(講談社選書・メチエ)を読んだ。
この本の裏表紙には「 囚人1万4千人、生還者7人監獄。無軌道に展開した強制労働者、密告、そして処刑。社会基盤を破壊し全国民の5分の1を死に追いやったポル・ポト政権はいかにして「革命」を遂行したのか。20世紀最大の蛮行、その軌跡と背景を完全解説」とある。
ポル・ポトの「革命」と「蛮行」で、人口800万人の小国で150万人(推計)が死に、カンボジアの人口は4分の1に激減したのである。
1975年、ロン・ノル政権が陥落。ポル・ポトが率いる政権は、仏教徒を弾圧し、教育を軽視し、文化を敵視した。そして通貨と市場を廃止した。集団食事制などで家族も破壊した。カンボジアの民衆の拠り所であった「家族」「仏教」「土地」をすべて取り上げたのである。
大人を信用せず教育を全否定し、子どもを重視。子ども医師、子ども看護士、子ども薬剤師などを導入し国は大混乱に陥った。
ポル・ポト自身は表にはでないで統治したという不思議なスタイルだった。経歴や写真は非公開であり、秘密主義は徹底していた。この本には1997年に人民裁判にかけられたポル・ポト老人の写真が掲載されている。アジアのヒトラーは1998年にジャングルで死んでいる。
現在のカンボジアは、立憲君主制。ASEAN加盟国。人口1,513万人、首都はプノンペン。国民の90%以上が、クメール語(カンボジア語)を話し、仏教(上座部仏教)を奉じている。
2016年にカンボジアの王立プノンペン大学外国部学部日本学科のレスミー学科長と多摩大学との協定の打ち合わせをしたことがある。レスミーさんは若い女性だったが、ポル・ポト政権下で大人が多く死んでしまったので、国民の年齢が非常に若いという言葉が印象に残っている。
「僕は将来、革命組織を指揮する」は、ポル・ポトがフランス留学中に友人にか語った言葉である。ポル・ポト自身は「われわれが闘争をしたから、カンボジアはベトナムに呑み込まれずにすんだ」と自賛しているのだが、この政権の1975年からの4年間で、毎日1100人を死に追いやったのだ。確かにポル・ポトは革命を指導したが、強制と粛清と虐殺と破壊のオンパレードという虚構の革命であった。

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