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名言との対話」2月11日。野村克也「生涯一捕手」

野村 克也(のむら かつや、1935年昭和10年〉6月29日2020年令和2年〉2月11日)は、プロ野球選手コーチ監督野球解説者野球評論家
京丹後市出身。1954年に南海(福岡ソフトバンクの前身)に入団。1965年に戦後初の三冠王を獲得。1970年から1977年は選手兼任監督として活躍となった。本塁打王9回、打点王7回、通算657本塁打(王に続く歴代2位)など、数々の記録を樹立した。引退後はヤクルト・阪神楽天などの監督を歴任した。
以下、このブログに記した野村克也の名言録から。

  • 筋書きを書いて演出までやるのがキャッチャー。

  • もしスペンサー選手やブレイザー選手がいなかったら、日本のプロ野球精神野球の域をなかなか脱せず、日本の野球は相当遅れていただろう。

  • 草柳太蔵は何事も生きているうちは勉強という意味の「生涯一書生」という言葉を野村克也に贈った。それが野村の名言「生涯一捕手」になった。また、「いい仕事は必ず誰かが見ていてくれる」とアドバイスされ、心に深く染み込んだと後に野村が述懐している。

  • 才能には限界がある。でも、頭脳に限界はない。

  • 常に(V)時代が脳裏にあり、川上さんを鏡にしていた(川上哲治死去に際し)

  • 素質が一流でも思想が二流では成長しない。

  • 器用な人はもう一工夫、もう少しの地道な努力が足りないことが多いので、長期戦になれば最後は必ず不器用が勝つんです。

  • 才能は学びから生まれる。

  • 中心なき組織は機能しない。

  • エースと4番は育てられない。

  • 足と肩にスランプなし。

  • 指揮官の重要な仕事は人づくりである。

  • 監督は「気づかせ屋」でなくてはならない。

  • チームづくりの終着は「まとまり」。

  • 士は己を知る者のために死す。

  • 人間学のないリーダーに資格なし。

  • 監督の5原則。1:仕事を通じて人間形成、人格形成をする。2:人生論が確立されていないかぎりいい仕事はできない・目(目のつけどころ)、頭(考えろ、工夫しろ)、感性(感じる心)・コツ・ツボ・注意点(意識させる)が重要・無形の力をつけよ。3:教育こそ監督に求められる第一の使命。4:心が変われば人生が変わる。5:指揮官の最初の仕事は戦力分析にある。

以下、語録。
「常にV)時代が脳裏にあり、川上さんを鏡にしていた」
「若い頃の一時期、自分が好きな対象に溺れるほどに熱中するのは、絶対に必要なこと。その中でカンであれ、何であれ、一流の基礎が養われる」
「素質が一流でも思想が二流では成長しない」
「器用な人はもう一工夫、もう少しの地道な努力が足りないことが多いので、長期戦になれば最後は必ず不器用が勝つんです」
「才能には限界がある。でも、頭脳に限界はない」
野村克也『私が選ぶ名監督10人 采配に学ぶリーダーの心得』(光文社新書)を読んだ。名監督野村が評価しているのは、三原水原茂鶴岡一人川上哲治西本幸雄の5人だけであった。たたき上げの野村は、テスト生から始まり、捕手から始まり、三冠王、コーチ、そして4つの弱小球団の監督になってリーグ優勝、日本一、その後は、評論家としてカンドコロをついたテレビの名解説で人々を魅了した。プロ野球という世界のフルコースを堪能した人生だった。その野球訓は人生訓にまで高められており、著作もよく売れている。調べると、著書の単行本は80冊、新書は45冊、共著12冊ほどで、軽く100冊を超えている。他の人が野村を書いた本は26冊。著者としても一流だった。この方面でも、これほどプロ野球に貢献した人はいないだろう。
「生涯一捕手」の精神は、どのようなポジションでもそこに生涯をかけるという態度を示すものだろう。名選手、名監督、名解説者、名著者であった野村は、その一貫した姿勢で日本のプロ野球界を牽引したのである。

私が選ぶ名監督10人~采配に学ぶリーダーの心得~ (光文社新書)


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