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「名言との対話」6月17日。臼井吉見「教育の中軸は自己教育だと思いますが、その自己教育の中核は、自分と異質な人間との対話です」

臼井 吉見(うすい よしみ、1905年6月17日1987年7月12日)は、日本の編集者評論家小説家日本藝術院会員。

臼井 吉見(うすい よしみ、1905年明治38年)6月17日 - 1987年昭和62年)7月12日)は、日本編集者評論家小説家

長野県安曇野市出身。旧制の松本中学、松本高校を経て、東京帝大文学を卒業。臼井は後に原発事故で知られた福島県の双葉中学の国語教師にもなっており、また郷里で教員をつとめた後、上京し総合雑誌『展望』の編集長をつとめる。文芸評論家としても活躍する。

1964年、59歳から大作『安曇野』を書き始め、途中病気の5年間もあり、この邂逅の物語を69歳で完結させ、谷崎潤一郎賞を受賞する。原稿は5600枚だ。登場人物は、新宿中村屋を興した安曇野出身の相馬愛蔵と黒光夫妻、荻原碌山、井口喜源治、木下尚江、そして臼井である。明治から昭和にかけての、安曇野の人々を中心とした人生における邂逅の物語だ。安曇野が有名になった作品である。

その後、天皇制を論じた『獅子座』というライフワークに取り組むが未完に終わっている。明治維新臼井吉見に寄れば、王政復古ではなく、岩倉具視のクーデターだった。臼井は天皇に対しては戦争責任を問わないわけにはいかないとという意見だが、同時に天皇に限りないシンパシーも持っていた。一人の人間から基本的人権を奪っているという考えだった。ついにライフワークは完成しなかった。

2012年に安曇野を訪れたとき、安曇野ちひろ美術館碌山美術館と、臼井吉見文学館を訪ねた。小学校校長先生は、深田久弥が『日本百名山』で取り上げた、窓から見える常念岳(2857m)を指しながら、「常念を見よ」と臼井らに語っていた。郷里の山は人格形成に影響を与えることが多いが、臼井はこの言葉をしっかり覚えていた。三角の形をして美しい常念岳は臼井の心にも影響があったのだろう。

臼井の講演録「自分をつくる」には、教育者としての名言が並んでいる。

「体を動かし、頭で考え、心に感ずる」

「精神の成長の時期に作られる友達が生涯の友達です。たがいに精神の成長の秘密を知っている同志が友人です」

「肝心の発電は、他人任せにして、電線だけ引っ張って、自分の精神の火をともそうとしたって、だめなんです。か細くても、消えそうでも、精神の世界では、自家発電でなくては、ごまかすわけには行かない」

臼井吉見という名前とやや太り気味の姿は子供の頃のNHKの人気テレビ番組「それは私です」で覚えている。山本嘉次郎、池辺良、中村メイコ曽野綾子と並んで人当ての推理をする番組だ。臼井は偉い人のように思ったが、よく間違えるので愛嬌があったように記憶している。

座右の銘「滾々汨々」(こんこんいついつ)は墓碑にも刻んである。考えや知恵がこんこんとわき出るようにしていたいという意味である。

「教育の中軸は自己教育だと思いますが、その自己教育の中核は、自分と異質な人間との対話です」。この言葉は、教育の本質を突いている。人は自分で自分を教育していくしかない。その中核は同質との遭遇である。仲間との交流は心が休まるが、それでは成長は望めない。常に新しい空間に身を置き、自分とは異質の人たちとの遭遇を求めて行動しよう。自分は自分自身を鍛える最高の教育者なのだから。





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