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「名言との対話」11月9日。吉田秀雄「仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない」

吉田 秀雄(よしだ ひでお、1903年11月9日 - 1963年1月27日)は、日本実業家電通の経営者で、「鬼十則」を作るなど広告の鬼と呼ばれていた。

北九州市小倉区出身。10歳のときに父がなくなり、吉田家の養子になり、旧制小倉中学、七高、東京帝大経済学部を卒業。日本電報通信社(後の電通)に入社する。

広告屋は実業、ビジネスではなかった。「ゆすり、かたり、はったり、泣き落とし」のだったと吉田は後に振り返っている。1936年、広告専門の会社となった。1942年、取締役、そして常務取締役。戦争勝利にむかって1943年から1944年にかけて186社あった広告代理店を12社に統合される。吉田の手腕もあり、電通は全国ネットワークを持つ唯一の代理店となった。

終戦終結を告げる天皇陛下のラジオ放送を聞いて、吉田は「これからだ」と叫んだ。1947年、吉田は社長に就任。「電通がその仕事振りによって広告業の文化水準を新聞と同じにまでに引き上げたい」と就任あいさつで述べた。そして「商業放送の設立」「クリエイティブ技術の向上」「マーケティング理論の確立」を掲げた。ラジオ放送とテレビ放送の時代に向けて放送各社を支援していった。1955年に株式会社電通と改名。9年間の吉田社長の時代に取扱高は877億円と6倍近くになり、利益は34倍になった。

吉田は1955年に「鬼十則」を制定している。

  1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。2仕事とは、先手々と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。3大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。4難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。5取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。6周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。7計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。8自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚みすらない。9頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。10摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

この「電通鬼十則」は小林一三が感心し、没後には朝日新聞天声人語」にも取り上げられた。近年、過労死問題で、この鬼十則がやり玉にあがり、社員手帳からも削除された。

  • 「私が若い人にとくに言いたいのは、一日、一日のささやかな努力を怠ってはならないということである」

  • 「大学を出たインテリの悪い癖は、実行する前にまずできるかできないかを自分の頭で考えてしまう。小さな個人の頭脳で割り切れることは人生には1割もない。後の9割はやってみねばわからない。だからどんどん体当たりしていく人が、不思議なくらい次々と仕事を解決していく」

吉田秀雄は、今日の巨大電通の基礎をつくった経営者である。「鬼十則」は電通躍進の推進力としてもてはやされてきたが、第5則「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。」が、世間の指弾を浴びることになったのである。他の項目の中で、第1則「仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない」は至言である。会社組織には業務分掌があるが、それに従っていては、発展は望めない。そこからはみ出し、本当の目的に向かって大きく行動することが大事だ。私もこの考えに共感する。吉田秀雄はそれを言っているのだ。この精神が巨大企業をつくったのである。

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